0256_13連休が教えてくれたこと
クアラルンプール郊外に引っ越して
タイ・マレーシアで忙しく働くなかで
年末年始は13連休をとった。
これは何も仕事が嫌になったなどではなく
元から取得を予定していた有給休暇と、
出張の代休があわさったのだ。
ともあれ、13連休はおそらく勤め人人生の
中でも最長だったし、忙しいマレーシア生活から
日本へ帰れる機会は本当にありがたかった。
日本で感じたことや温泉や料理や
日本語のありがたさなどは月並みなので
私がユニークだと感じた13日間の休暇の
最終日について記録を残したい。
連休の終わりは、早朝から移動し
マレーシアには15:00頃には到着した。
2020年1月6日の朝は、多くの日本在住者に
とって仕事初めの日だったことだろう。
幸い私は、苦手な電車に乗る必要はなかった。
電車が苦手な人は少なくないだろう。
とりわけ仕事初めの電車は、気を揉むだろうし
落ち込んだ表情の人も眠そうな人も見るだろう。
顔が死んでいる人が鮨詰め状態で、半ば
"乗らされている"のが日本の通勤ラッシュの
都市部の電車のよく見る光景だ。
空港はそうでもない。社員旅行なのか、
浮かれた表情の30〜40代の日本人団体や、
凛とした表情で働く日本人スタッフ、
自分の町へ帰っていくだろう外国人たち。
どの顔も満員電車のそれとは違って見えた。
自分や彼らは、いい気分でいられる方法を
1月6日にとった。それだけなのだろう。
ましてや私は愛する家族とともに渡航した。
妻や2人の子どもは長い休暇の先に、また
マレーシアへ向けて移動することにとても
幸せそうな表情を浮かべていた。
私が求めていた理想の人生は実現した。
旅をして、現実に戻って浮かない顔をしていたら
結局その旅は消費であり、娯楽だと思う。
自分はそれが嫌で旅をしながら暮らしたいと
願って、技術者として一人前になれるよう
研鑽を続けた。技術者としては半人前だが、
それでも人生は願った通りの形態になった。
連休が終わる理想のマインドセットは、
"連休前の日常に戻ることが楽しみ"
というものでそれはこれからも変わらない。
もちろんそうは言ってられない職業もある。
私も認知が少しずれれば、年末年始に帰国を
諦めて仕事一徹で家族を無視したのかもしれない。
しかしそんなことは努力でもなんでもない。
社会がそれを個人に強いることは、ないのだ。
楽しませてもらえないという感覚は悲しく
楽しむという感覚は尊く、応援しがいがある。
私は家族を連れてこれからも楽しく旅をしたい。
個人としては、技術者として一人前になって
一人でも多くの人を技術的に救うことだ。