0292_本能的にやりたいこと
暇があったらやりたいことは
忙しい時ほど、たくさん思い浮かぶ。
私は今、マレーシアのクアラルンプール郊外に
技術者の駐在員として、そして二児の父として
住んでいる。2020年3月。思いもよらず
COVID-19という流行病がきっかけで
業務停止になってしまう。自宅待機の日々だ。
この記事を書いているのは3月23日。
3月18日から始まった、マレーシア全土での
活動制限令によって、自宅待機6日目だ。
家から出るなと言われたのは人生初だ。
決まりを破ってでも外に出るたちの人間だが、
たまには子どもをしっかり家で面倒を見るのも
いいという思いで、ここ6日間、炊事以外の
家事を手伝ったり、子どもとレゴをしたり
家の中で縄跳びを教えたり。遊んでいる。
正直仕事など、全くしていない。
リモートワークという言葉が流行ってきているが
私は多分それが主になるとクビになるだろう。
家に小さい子どもがいて、そっちのけで
仕事ができるほど「仕事一徹」ではないのだ。
今日は、たまたま妻の気遣いで、妻と二人の
子どもだけが同じコンドミニアムの友人宅へ
遊びに出かけてくれた。約4時間、自宅に一人だった。
育児はとても楽しいし、家事をするのも
私は好きだが、一人で自分のしたいことを
空想したり読書したりお茶を飲んだり
というようなことは、子どもがいては
やはり落ち着かない。子どもが優先となる。
仕事を少しして、特に急いですべきこともなく
出勤・出張することや上司に連絡を取ることを、
全く必要としない、平日の自由時間を得た。
更にはシーツを洗ったり掃除機で床掃除を
したり、ということも全て終わっている。
完全なる自由時間だった。そうなると、
映画を見たり、読書をしたり、音楽を聴いたりで
何か作品に触れさせていただき、時間を使う
ということがすぐに頭に浮かんだ。
ところが、この日の私はそうではなかった。
映画や音楽で自分の時間を"消費"させることは
気分転換や学びになる。しかしながら、
何か欠けている気がした。
…好きな映画を見て、コーヒーを飲んで
読書を通じて期待されるキャリアを夢見て…
これらは、自由に外に出られない欲求に代わる
行動なのかどうか。結果、納得がいったのは
ピータースピアーの「せかいのひとびと」を
読むことと、絵を描くことだった。
本能的にやりたいと願っていることに
向き合うことができたら、人は安心できる。
多くの人はそれを我慢したり忘れたりして
「何か物足りない」と感じているだろう。
私も今日のこの4時間がなければ、きっと
「家の外に出られさえすれば幸せが見つかる」
と思っていたはずだ。消化不良にならない
ギリギリ手前で何とかやりたいことができた。
これが世の中のためになればいいし
家族を元気にできれば尚良い。
けれど、個人がどうしても生み出したい
思いや形は千差万別で、世の中のためになるべき
とか、誰かを豊かにすべき、という着想から
生まれるものばかりではない。
それはビジネスが叶える課題だ。
自分が生み出したい物、浸りたい気分は
自分にしかわからない。たまにはそれを
思い出させる時間を持つことで、自分は何を
やりたくて今の時間を過ごしているのだろう、
と考えながら生きたいと思った。
コロナウイルスのせいで機会を失う人、
コロナウイルスのおかげで機会を得る人。
その状況は、本人だけが選択できる。
私は後者でありたいと願うのみだ。