ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0203_甘えると頼るの違い

マレーシアでの生活をして3ヶ月が経ち

その間に前任者の帰任や、大きなプロジェクトの

納品出張など、仕事一辺倒だった時間が過ぎた。

 

私が住むのはシャーラムという街。

ものづくりの拠点が多く、クラン港からも

ほど近い、関西人にとっては、大阪府堺市

例えると分かりやすいだろう。

※地理に弱い人は、それどこやっけとなり

  関空の近くといえば、あの辺か、となる点。

 

ともあれ、私がマレーシア駐在として充実した

エンジニアライフを謳歌したこの3ヶ月間には

日本人の登場人物が3人ほどしかいなかった。

 

1人はもう帰任した前任者の先輩、もう1人は

上司、あとは出張で来られタイでお会いした

日本人や髪の毛を切りに行った店のスタッフさん

などいるが、とにかく限定的だったのだ。

 

更に私の性格上、日本人がいなければ寂しい

というよりは、日本人がいると興ざめする

という観点があるので(避けていた訳ではないが)

とにかく地理的にも環境も日本人と縁がなかった。

 

現在は単身赴任だが、妻と2人の子どもに

マレーシアに移住してもらう計画を立てており

娘が幼稚園に通うことから、少しずつ

日本人との縁が芽生え始めてきている。

日本人会への入会や幼稚園入園の手続きを

調べたり対応してもらう相手は日本人である。

 

さて、海外で自分を磨くことに楽しみや喜びを

見つける私にとって、日本人が多くいることを

忌み嫌うこの性格が、何に起因するのか。

今回はその自己分析をしてみた。

 

ずばり、甘えるのが嫌だから。である。

 

甘えた考えや態度は自分を弱くすると考えている。

だが、日本人という逃げようのない関連性を

海外で待つことで、"甘える"気持ちが出てしまう

ことは、人間なので仕方がない。

日本人は優しく無害なので、甘えやすいのだ。

 

日本で起きたニュースを聞いたり、日本語を

話すことだけですら貴重な生活を送る上で、

頭の中から日本への甘えを完全に断つことは

思考を日本からマレーシアにローカライズする

ことにも繋がる。これをずっと続けると

日本人的な感覚は鈍化することもあるだろう。

 

そこで考えたのが、"甘え"を絶って"頼る"

という感覚だ。甘えは親や無二の友人など

受けた恩義に対して、とくにストレスなく

感謝の気持ちだけ持っていれば良い着想だ。

 

しかし、頼るというのは、頼った結果に

恩義が残る。区別すると頼る方が堅い印象になるが

ビジネスマンとして、また自分が持つ日本人像

を貫くエンジニアとして、頼ることが上手になれば

甘えを絶ったまま暮らせると気づけたのだ。

 

受けた恩義は時間がかかっても返す。その気概を

持っている人間同士の結びつきはとても強い。

 

「この世にタダの昼飯などない」である。

受けた恩義に忠誠を誓う気持ちがあれば、

むやみに他人に頼ろうとしなくて済むし、

これは頼ろうと決めて頼ったことに対しては

しっかり自分発信で恩を返す行動を取れる。

 

私はこれから家族を日本からマレーシアへよこし

会社の方や地域の方、現地の知人などから

家族の困りごとや日頃のコミュニケーションで

日本人に頼ることが必ず発生してくる。その時は

甘えずにいよう。しかし、頼りたい。

 

人間の幸福の連鎖は、恩義が大切だと私は

感じている。パソコンの前で人間じゃなくても

できそうな"作業"をするのが毎日の"仕事"なら

それは幸福の連鎖を引き寄せることは難しい。

 

私はものづくりの現場で働く。お客が機械を

求めてくれ、営業が注文を取り、購買が部品を

揃えてくれるので、私はものづくりができる。

 

ものづくりの中でも共に組立してくれるたくさんの

スタッフや、制御・電気工事をする技術者がいて

メンテナンスをしているフィールドエンジニアからは

現地での細かい運用に関してのフィードバックを

受けることができ、一丸となって良い機械を

作っている。それは当事者同士が頼りあって、

"良い機械が良く稼働する"という恩恵をみんなで

共有する成果に繋げているのだ。

 

勤め人であれば、仕事をする時間が生活の中で

最も長い時間となるだろうから、いかに甘えた

考えなしに、"得られる恩恵に対して、人に頼られ

自分も頼っているか"を意識して行動すれば、

生活の中での甘えも自ずと薄らいでいくはずだ。

 

甘えた人間は金を搾り取られるだけ。

漫画のナニワ金融道を読んでいてそんな内省に

結びついた週末の昼だった。

 

漫画は重いので持って来られなかったが、

クアラルンプールにある日本人会の料理屋、

「日馬和里」にたくさん漫画がおいてあった。

家族が来るまでは、日本食を頂き、のんびり

漫画を読める。…これは甘えさせて頂こう。

 

マレーシアにいながら安価に日本食が食べられて

日本の漫画が読める、こんな甘い週末はない。

日本そのものに有り難みを感じることができる。

 

0202_マレーシアの外食事情

マレーシアの外食に関する概要。

 

マレーシアで3ヶ月暮らしてみて、

外食に関しては多くの経験を積んだ。

何せ私は炊事ができない。家に箸も鍋もない。

無能すぎて情けなくなるほどの調理下手だ。

 

現在は単身赴任中なので、家族と住み始める

までの我慢だと思い、また自炊を始めるには

絶好のチャンスであるにもかかわらず、

仕事が終わってからとても調理などする気に

なれないため、毎日昼、夜は外食している。

もうゆうに100回以上一人で外食している。

 

孤独のグルメという漫画やドラマを見て、

美味しそうだけどかわいそうだなと思って

いたら自分がまさにそれを海外でやっている。

 

さて、マレーシアの外食事情だが、

日本人に向けてお伝えしたいことは、

モントキアラやクアラルンプールの外食と

私が住むシャーラムのそれでは少し価格帯や

バリエーションが異なるということを伝えたい。

 

クアラルンプールにはジャランアローという

レストランが多く立ち並ぶ観光地があるが、

あれは京都の嵐山のようなもので、美味しい店も

あるのだろうがとにかく人が多く、また

価格帯もシャーラムとは比にならない高値だ。

 

シャーラムも広いので高価も安価もあるが

おしなべてクアラルンプールの真ん中で

食べられるものと同じものが3割引ほどで

食べられる印象である。私の場合、晩飯を

焼き飯だけで済まそうと思えば6から7リンギット

10リンギットでコーラ混みというのが目安だ。

しかも、混むところばかりではない。

美味しくて空いている店も多いのだ。

その代わり移動はかならず車を使用する。

駅など、どこを見ても見当たらないのが

私が孤独のグルメを展開する郊外エリアだ。

 

マレーシア料理といえば、イスラム教徒たちが

食べる、ナシレマというスパイスの効いた

混ぜご飯が有名だが、日本人には一回で良い

だろう料理だと私は捉えている。毎日でも

食べられるが月に一度食べるかどうかだ。

 

では、マレーシアにいてマレーシア料理を

食べないでどうするかというと、どうにでも

選べてしまうのだ。

 

小籠包などを中心にした飲茶、ディムサムと

呼ばれる点心料理屋、

ロティチャナイ(パリパリのナン)やカレー、

ナシカンダーと分類されるインド料理、

パッタイやトムヤンクンを代表にしたタイ料理、

ビヤレストラン、バーではピザやパスタが、

ホットポット(火鍋)やスチームボート(寄せ鍋)を

展開する中華料理屋、

サムギョプサルやビビンバを楽しむ韓国料理屋、

マクドナルドではお粥を選ぶことができ

他にも無数のチェーン店が多様なラインナップを

見せ、全て飽きた頃に気に入った日本食を食う。

 

そんな生活である。悩みといえば、一人で

とても美味しい時に声に出せないことくらいで

マレーシアに来て、飯が選べるほどない、

というならその君はアマチュアだ。

 

人種の多様性と同じだけ食も多様なのである。

また、隣国タイへ行って気がつくのだが

マレーシアは中華料理屋は中華系の人種が、

インド料理はインド系の人種が、

日本食も運が良ければ日本人が作っているので

本場の味を、マレーシアの物価で楽しめるのだ。

 

クアラルンプールの街の真ん中だけが

価格の印象を押し上げているが、郊外で

何の気なくレストラン街をぶらつけば

いくらでも名店に出会えるのがシャーラムだ。

 

また、果物が安いのもマレーシアの特徴だ。

キウイやリンゴなど輸入物も多いが、価格は

スーパーで買っても日本の半額程度、

郊外特有の蚤の市では、完熟マンゴーが

一個80円程で手に入るなど、美味しさと安さの

驚きの次元は日本の地方都市の比にならない。

さらに、殆どの相手に英語が通じるのだ。

 

値切ったりする必要ないほど安いため

今は何のフルーツが美味しいの?と

単純に美味しいものを探す会話を楽しめば、

商売人たちは屈託のない笑顔でドラゴンフルーツや

ライチ、ロンガンランブータンなど

東南アジア特有のフルーツを自然な所作で

紹介してくれる。場合によっては試していい?

と聞くとその場で一つむいて食べることもできる。

 

そんな生活だ。本当に、美味しいものが安く

また飽きがこないほどにたくさん選べるので

やはり二泊三日の旅行よりも、ロングステイで

のんびり美味しいものに出会うまで、

ジャランジャラン(散歩)するのがいい国だ。

 

20カ国旅をして、心から住みたいと

思ったのはハワイとマレーシアくらいだ。

マレーシアはハワイに比べ日本から近く、

物価はハワイの三分の一ほどだろう。

 

先日ニューヨークにいる友人が、

サンドイッチにコーヒーをつけたら20USDじゃ

足りないと言っていたが、それに相当する

80リンギットあれば、ビックマックLセットが

5回買える。同じ地球なのにすごい差だ。

 

水が合わない人にはマレーシアはオススメしないが、

私の経験した上海、バンコクに比べると、

まだ歯磨きも苦なくできる水の質だ。

ニューヨークの友人は水が苦手と言っていた。

 

ニューヨークは、おそらく歯を磨いただけで

内臓まで綺麗になる高級な水が流れているのだろう。

 

ともあれ、美味しくて本物の味を気軽に

そして安価に楽しめるのがマレーシアの外食だ。

家庭料理についても今後造詣を深めたい。

0201_効き目と利き手で暇潰し

飛行機移動や高速道路の移動で

よほどのことがない限り私は眠らない。

眠ろうとしないというより眠れないのだ。

 

その分睡眠時間を確保しづらい悩みはあるが

5-6時間くらいならフルに充実した移動時間を

過ごすことができる。暇潰しというか

暇できないのは私の特質、特技であろう。

正直ブログの更新もそのうちの一つである。

 

大体が移動や就寝前の全くフリーな時間

(仕事、家庭、読書、レジャー、食事など

 すべき事やしたい事が終わっても残る時間)

に溜めておいたテーマについて考えを整理

しながら書き残していく。

 

更新が途絶える時は出張などで

寝る時間以外を拘束されている時である。

 

さて、就寝前は、疲れていたり翌朝が

早ければ寝ようという判断にすぐなるが

(ブログなどは優先順位の最後尾にあるが)

移動は寝たくても寝られず、考えものだ。

 

幸い、小学生時代に友達と集まってオフィス用

のくるくる回る椅子で何周回れるか訓練し続けた

ことや、当時がジャイアントスイング全盛期

なこと、とにかく幼少期にたくさん遊んだ

ことが手伝って三半規管が強いので

とてつもなく揺れる車や飛行機で、3Dの

展開図を見たり細かいリストに目を通しても

乗り物に酔ったことはない。

 

そこで私が自分で開発したマニアックな

移動の楽しみ方を紹介しよう。

効き目と反対の目で見る、という遊びだ。

 

運転中は気をつけなければならないが

他方で他人の運転での移動などで

会話がとくにない時間や景色に特に

魅力のない、退屈な時間帯が狙い目だ。

 

効き目の調べ方は動画や文字情報で調べられる。

わざわざ眼科へ行かなくてもわかるだろう。

 

その効き目と反対の目は、物を見るのに

補助的な役割を果たしているそうだ。

専門的なことはこちらも調べて頂きたい。

 

効き目は道路標識や道路、眼前の車両など

視界の中のメインターゲットとなるものを

追うのに対し、効き目と反対の目は木々や

ガードレール、空、建物など、距離感を

確認するための対象物や、看板など些細な

情報をつぶさに見て有用かどうか確認する

補助的な役割があるらしい。

 

私が行う暇つぶしは、効き目である右目を

閉じて、左目だけで街の景色や流れる自然を

見ることである。これによって明確に得られる

効用はないが、見え方が異なることに気づくだろう。

 

対象物がスマートフォンなら特に差はないが、

山や自然などの遠くの景色となると、左目が忙しく

あらゆる情報を得ているのがわかる。

 

そんな中で、鳥の動きや草木の実や花が

普段よりもたくさん目に映る気がするのだ。

マレーシアに住んでいると関西の5.6月のような

花が多く咲いている時期が年中続いている。

 

飛んでいる鳥も彩りが映える種類が多く

珍しい鳥を見ると嬉しい気分になる。

 

効用がないかもしれないが、右目を休める

というのも目的の1つだ。仕事柄、1mmや

0.5mmといった機械の組立の調整を行うことが

多く、そんな時に目が疲れていては効率だけで

なく、最悪の場合体も危険にさらすのだ。

 

目を大切にしようという思いと、

右目と左目の役割をしっかり理解して

どちらもフルに動いてもらえるようにしたい。

 

体へのいたわりもまたエンジニアリングである。

臓器の一つひとつの役割や有り難みを

しっかりと学び、労わることで健康体で

長く働き続けることができる。

 

体を大切にする気持ちを忘れないようにしよう。

0200_自分発信か他人に追従するか

目標の1000件を考えるとまだ遠いが

記念すべき200回目の投稿となるので、

ここまで楽しく続けて気づいたことを

自分の考えた言葉で記録してみたい。

 

自分の感性を大切に育て続けることで、

自分なりの指針ができ、良いことも悪いことも

自分や周りにとって良くなる方向へと

導くことができる。これが発信の源泉になる。

 

今の時代は、私が今記録するような文章のみ

でのブログではなく、少なくとも写真を加えた

ブログ、動画、音声など発信の方法は多様で、

ワイヤレスイヤホンの普及や5Gのインターネット

環境など、まさに動画、音声の全盛期を

迎えようと世の中は急激に動いている。

 

発信することでお金を稼ぐ人がいる。

ブロガー、ユーチューバー、アフィリエイター

などと呼ばれる立派な職業だ。その方々は

インターネット利用者たちの注目を得ることで

日銭を稼いでいる。中には事業化、組織化し

注目を稼ぐための方法を共有し特定の媒体で

大きな影響力を売り物にしたり、その事業を

通じての社会貢献がまさにこれからの時代の

生き方だと豪語する者も、まさに影響力を得て

成功者として社会からも評価されている。

 

私は発信する側でなく、追従する側だ。

なぜなら日々動画や音声でのコンテンツを

自分に取り入れることは私の事業の"仕入れ"

ではなく、聞いて終わる単なる"消費"だからだ。

 

発信者として稼ぐのであれば、どんな小さな

兆しや知識でも自分なりの味付けをして

自分のコンテンツとして他人を追従させる

ことができる。そこが発信者を目指す上で

最も肝心な着想になると私は信じている。

 

幼稚園児で以って例え話をしよう。

同じ遠足に行き親の弁当を食べた園児たち

20人がいたとして、弁当がどうだったか

という感想をそれぞれが絵にしたり歌にしたり

ただ単に言語化して感想を述べたりする。

という課題が仮にあったとする。

 

ごく一般的な園児たちからは

おいしかった、楽しかった、などという

汎用性の高い感想を耳にするだろう。

 

しかし、一風変わった園児がいたとする。

・高級料亭の料理人家系のご子息で

   普段給食に対してとてもクリティカルな

   提言や、未就学とは思えない表現力を持つ園児

  による弁当の説明と所感。

 

・赤ちゃんの頃からモデルをしている園児。

   またその母親もメディアでは一定数認知される

   キャラ弁(キャラクターをモチーフにデザイン、

   装飾された弁当)界の重鎮。

   二者が織りなすSNSでの弁当をめぐる

   写真記事の投稿。

 

書道家の末裔で、5歳で始めて国が企画運営

   する書道コンクールで最年少受賞をした

   未就学の書道家が表現する、弁当の感想を

   漢字一文字で表した作品。

 

そう、こんな園児がいたら見てみたいと感じる

だろう。だが彼らは影響力を持つことを目的

として存在しておらず、ただ生き方がユニークで

なのだ。結果誰からみても注目に値する。

 

例に挙げた三者もまた、ほかの二者のコンテンツを

楽しむことはできるだろうが、あくまで

自分の存在を脅かす競合ではない。

なぜなら彼らには料理家や書道家、モデルなど

(例は極端だが)それぞれの道があるからである。

 

私たちが気をつけないといけない追従の姿勢は

ないものねだりをすべきでないということだ。

 

人にはそれぞれ持って生まれた独自性や

選んではいないが与えられた環境がある。

 

今の環境は右を見ても左を見てもみんな同じだ、

と感じるなら隣町、他府県、海外などへ行き

自分が当たり前と感じていることがいかに

独自性の高いものであるかを感じて欲しい。

 

右を見ても左を見ても同じ環境で、

みんな知っていることを発信しても

特に再認識されることはあっても独自性はない。

 

私の観点から言うとやはり海外との接点は

その人の独自性を強く認識できる機会になり、

またその海外で得る良識やつながりを

自分の元いた領域に持ち込むこともできる。

 

私は発信者として日銭を稼ぐ気概はないが、

自分の独自性を尊重してもらえるよう、

これからも旅をして視座を高め続けるのだ。

 

自分発信の源泉は人のためになること。

誰かの生活を豊かにしたり、奮起する起爆剤

なれるように自分を磨き続けたい。

0199_セルフィぶった斬り事件

マレーシアに来て3ヶ月が経過し、

ようやく待ちに待った仕事の任務完了の日を

迎えることができた。国内初となる

大型機プロジェクトの稼働である。

 

そのプロジェクトに携わっていた間、

ブログの更新がすっかり途絶えてしまった。

 

今回は学びとかエンジニア、旅人としての

メッセージはさておき、仕事中に遭遇した

ネパール人との思い出を記録しておきたい。

 

タイトルは、「セルフィぶった斬り事件」だ。

 

私が仕事で行った客先には、私が据え付けする

大きな産業機械のオペレーションを担う、

30人にも40人にも及ぶ労働者がいる。

 

参考までにマレーシアの山奥の工場で働く

労働者の多くはネパール人である。他の工場でも

多くのネパール人に会ってきたので驚きはない。

 

彼らの大半は笑顔で、目を合わせると

アゴをくっと上にあげ、また時には手のひらを

こちらにさっと上げて「よお」と意思表示する。

友好的で人懐っこい人が大半だ。

 

年齢は20代後半から40代後半まで、男性のみ。

女性も数名働いていたが外国人労働者でなく、

地域のスタッフだろう、ヒジャブをまとっていた。

 

そのネパール人たちの一定数は英語を満足に

理解しない割に、果敢に話しかけてくる。

おれは◯◯だ、お前は誰だ?と言っていそうな

独特の巻き舌を含む言語をぶつけてくる。

 

面白いのは、韓国や台湾ならすぐに

日本人ですか?と声がかかるのに対し、

マレーシアの山奥となるとさすがに

日本人が技術者としてくることは稀なのだろう。

 

マレー語風に、「サヤ、ジェプン」と言うと

マジでお前は日本人なのか?!と一気に

高揚するのがネパール人の特徴的な反応だ。

 

さて、そんな挨拶や二、三言葉を交わした後は

通常私から機械の調子を尋ねたり、何度も

目配せをした相手には名前を伺ったりする。

 

その中でクイーンのフレディマーキュリーの

ように立派なヒゲを蓄えた小柄なネパール人から

刺すような視線を数回感じていたのである。

 

申し訳ないが、あまりに強い目線を感じる相手は

避ける。理由は単純。会話は仕事の邪魔なのだ。

 

波長が合う相手とは自然に、必要に応じて

目が合うと思っているからだ。こちらが会話

したくとも目線を返さなかったり、また相手から

一方的に目線を感じることはあまり好まない。

 

なのでこの小柄なフレディ(仮名)とは

必要がなければ目を合わせないようにしよう

と体が自然に動いていたのである。ちなみに

パーティ会場などならそんなことは気にしない。

 

オペレーターがいて機械の稼働を見ている時間は

私は基本的に機械と対峙したく、目の中に

写ったことや過去のどうでも良いことを話して

来られることで仕事の気が散るのを嫌うのだ。

 

フレディは私にヘイ!と言った。理由は

分からない。目が合わなかったからかもしれない。

 

そして、二、三言葉を交わすと、

セールフィマイフレンドと言い、

自分のスマートフォンで自撮りを実施した。

 

私は客先の工場の管理者に遊んでいると思われる

のが嫌だったので、遠慮していたのだが、

その管理者は従業員に自撮りをせがまれる

私の様子を笑顔で見られておられたため

一枚だけだぞと言い、フレディとの自撮りに

応じた。彼は満面の笑みでシャッターを押した。

 

そして撮れた写真を一瞥するやいなや、

OKOK!と言い私の肩を叩いた。しかし

私は見ていた。私の顔が切れていたのだ。

 

自撮りして自分だけちゃんと写すんやったら

お前それ家で一人でせえやと言いたかったが

相手はネパール人労働者、周りはマレーや

中華系など多国籍。日本語が分かる相手ではない。

つっこみたい気持ちを、ぐっと堪えた。

 

他にもこんな例は枚挙にいとまがない。

寝れば忘れるような瑣末な出来事だが、

これが蓄積するからアジアで孤軍奮闘する

日本人はたくましくなれるのだと思う。

 

しかし本当に私はネパール人に気に入られる。

ネパール人が誰でも彼でも気に入る性格なのか

ネパール人にとって日本人が魅力的なのか。

 

一度ネパールでありのままの姿で旅をしたい。

できるならガッツリ山の上に出張で行きたい。

 

ブログは1000件を目標にしており、

マレーシア駐在は数年は続くだろうから

この話はおそらく続きがあるだろう。

健康に留意して長く戦い続けよう。

 

0198_VOICYに助けられて約一年

このブログはVOICYにインスパイアされて

自分も何かチャンネルを持って配信できる

という着想から始まっている。

 

具体的には、澤円さんの深夜の福音ラジオと

サウザーさんのサウザーラジオが中心だ。

現在はルシュカさん、ローラさん、

加藤ひろゆきさん、石松拓人さんなど

6つほどのチャンネルを拝聴している。

 

せっかく聴かせて頂くからには、発信者の

方にお会いした時に心からお礼が言えるよう、

「放送のおかげでXXの着想につながって

YYの行動ができ、その成果がZZです。

お礼にそのZZで00させていただきます」と、

具体的に受けた恩を返していけるように

常に次の行動にどう活かすかを考えている。

 

私は33歳のメーカー勤務、妻子持ちで

現在はマレーシアに単身赴任中の身分だ。

 

日頃接するのは90%以上が外国人で、

非日本的な生活にどっぷり浸かっている。

車の運転もするし同僚に英語で仕事の難しい

局面を打破するよう話し合ったりもする。

そんな中、心のどこかで持ちたくなるのが

「日本人たるやかくあるべき」という内省だ。

 

それは「郷に入れば郷に従う」ということと

相反することもあるのが日常の些細な

ストレスになる。日本人に分かってもらいやすい

例として、トイレがいいだろう。

 

日本のトイレは綺麗だ。日本人なら解説する

必要もない。それは物質的にも精神的にもだ。

 

しかしマレーシアの工事に勤務していると、

日本的な観点でトイレを見ると心からがっかり

してしまうだろう。マレーシアのトイレは

床や便器がびちょびちょに濡れており、

また紙を使わない人も多く紙は無くなれば

そのままか、紙が濡れているかどちらかだ。

 

詳しくは割愛するがそこには文化的な背景があり

「トイレは綺麗に使うんだよ」と説得すること

よりも文化として受け入れることの方が

自分の中でストレスがなくて良い。

 

しかし怖いのが郷に入れば郷に従う姿勢が

常態化してしまい、もはや許せざるレベルに

達したとしても受け入れてしまうような

状況に自分を追いやってしまうこともある。

 

トイレはちょっと辞めておいて、逆に例えると

日本の仕事に尊敬と憧れを持ったムスリム

日本に仕事で渡り、一生懸命に郷に従う姿勢を

身につけた結果、付き合い残業や飲み会など

マレーシアではまったく存在しない環境を

体が受け入れ続けてしまうようなことだ。

 

ともあれ、日常の些細な出会いを受け入れて

背景から文化や美点を理解することはとても

楽しいことでもある。そこで重要なのが、

自分の芯を強く持ち続けることである。

 

自分は何があってもこうあるのだという

明文化されていなくてもよいので、ともかく

どんなコンディションに置かれても

ずれない基準を持つことが重要になる。

 

私はその芯を保つために読書やラジオを

メインに使っている。他人から示唆を得たり、

自分との違いを認識し続けることは、

他を知ることと自らを知ることの両輪になる。

 

さて、そのラジオや読書をどうするか。

それは私にとって、娯楽がメインのFMラジオを

聴きながらファッション誌を読むことではない。

 

辛辣な表現もあるがブレない自由さを

気軽に拝聴できるサウザーラジオを聴きつつ

静かなところで、山本七平を読むことだ。

発信者に感謝しつつも、結局発信者自身は

私だけのためにそのコンテンツを作ったのでは

ないと知っているので、結局自分でどうその

学びをユニークに活かすのか、それは

自分の芯を持たなければ考えられない。

 

自分の芯を持てているかの確認は簡単だ。

何でも良いのでニュースを適当に見て、

1分ほどで自分の意見を述べるのだ。

その意見が自分の周りの20人と異なる自身の

ある個性的なものであれば、芯は持てている。

1分意見した結果、"分からない"や、他人に問う

かたちで締めくくるのは芯がない様だ。

 

元々から私自身は良くも悪くも芯が強く

悪く言えば独りよがりでよく言えば強い。

 

しかしその芯が過去から変化しないよりは、

あらゆる刺激を経て、太く魅力的な芯にして

周りをエンパワーしていきたいので

VOICYや読書での学びは欠かせないのだ。

 

こと音声や動画で手軽に教示を得る文化は

これからもっと発展するだろう。聴きっぱなしで

何の恩も返せない身分は虚しいのものだ。

 

語学も仕事も。実践を続けるしか上達はない。

VOICYを基軸に自分の活動を加速させ、

パーソナリティの方にとって一ファンとして

またフォロワーとしてだけでなく、得たもので

自分を高めている同士として見てもらえるよう

強い芯を持つエンジニアであり続けたい。

0197_2019年目標中間報告

今週のお題「2019年上半期」

 

今日から2019年も残りちょうど半分。

毎年それなりに目標を立てて行動する

私だが、このブログでも記録したように

元旦に立てた今年の目標はただ一つ。

家族をハワイへ連れて行くということだ。

 

目標設定だけだが長々と記録が残っている。

http://dazaific.hatenablog.com/entry/ThegateistobeopenedforflyingtoHNL

 

ちなみに過去の記事では12月にバタバタと

してしまう方へ痛切なまでの警鐘を鳴らす

何とも冷やかな記録も残っている。

http://dazaific.hatenablog.com/entry/towalkslowlyontheyearend

 

記事を二つともお読み頂けたならもう5分以上

時間を頂いていることになるので、

今回はとくに簡潔さに留意し中間報告を行う。

 

2019年は家族をハワイへ連れていけない。

目標をハワイからランカウイに修正する。

 

以上。

 

目標設定時はマレーシア駐在が決定する前で

ハワイへ行く準備は実は着々と進めていたが、

(航空券予約直前で滞在先は押さえていたが)

マレーシアからハワイへは関空から飛ぶのが

最も経済的と判断し、帰任後に行くこととし

代わりに家族で無事にマレーシアへ移り住み

ハワイへ行けなかった代わりにリゾーチである

ランカウイへ是非連れて行こうという目標だ。

 

半期で目標を遂げるには早めの設定が必要だが

ここは日本ではない。不確実性回避不可能な

マレーシアである。いい意味で嬉しい風が吹き

自分たちをランカウイへ飛ばしてくれるだろう。

 

他人の下半期の動向に目をくれる暇はない。

まず目の前の家族を幸せにしてあげたい。

 

その目標は非日常的であるべきだ。なぜか、

私も妻も、旅を愛しているからである。