ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0196_降水確率100%のマレーシア

マレーシアに赴任し間もなく3ヶ月が経つ。

前任の先輩から引き継いだ、大きなプロジェクト、

自社製品である産業機械の、製作・調整後に

現地での据付作業を(この記事を書いている

一週間後の)2019年7月に控えている状況だ。

 

据付作業はとにかく仕事量が多く、40フィート

コンテナ5台分の機械の出荷を1日で行い

据付現場では荷降ろしを1日で行う。

全て並べると50mプールが機械で埋まる量だ。

 

流れとしては、お客さんが現在使っている

既設の機械が別業者によって1日で撤去された後

私たちが1日で機械設置、電気工事、テスト運転

その翌日には実際に稼働してお客さんにとって

利益を生み出す生産(稼働)が始まる。

 

売ったら使ってもらって終わりの家具や

家電と違い産業機械はお客さんがそれで

雇用やビジネスを作っていくのが面白い。

 

さて、何事もうまくさえ行けば楽しく幸せなのだが

この納品作業には毎回トラブルがつきまとう。

 

なにせたくさんの物量を運んで据えるので

何かが搬送中にダメージをうけたり、大げさな話、

トラックの揺れでネジが緩んで落ちるなどで

その仕事が完璧ではなくなることがあるのだ。

 

今回は、雨に泣かされた。

 

実際は泣いていないが、泣いて雨がやむなら

喜んで泣かせて頂くほど、大雨にうなだれた。

 

というのも、40ftコンテナから、クレートという

3mX4mほどの木枠に固定された重さ1トン

以上の機械を何度もコンテナから降ろす

作業が、基本的に外で行われるためである。

 

ホテルから客先へ向かうまでに1時間以上

車で走ったが、途中大雨が原因の玉突き事故

を見たり川が氾濫しそうになっていたり。

日本でいう台風被害のような朝だった。

 

しかし、マレーシア人の仲間たちは特に

臆することもこともなく、"仕方ないね"

"濡れるかなぁ"くらいのものだった。

 

もともとマレーシア人は日本人と違って、

世間話や誰の責任も問わないテーマは

際限なく会話できるが、逆に不確実性の

回避のための議論を極端に避けようとする。

 

私が勤務する現地子会社でも社長をはじめ

何か起きたら良きに計らえというのが

基本的なスタンスに思える。

 

同じ会社で同じ製品を作る日本の本社では

世間話はほどほどで、不確実性回避や

先に起こる出来事の予見に多くの議論の時間を

費やされることからこのギャップは大きい。

 

日本にも社風や地域柄ゆるい集団も

一定数あるかもしれないが、敗戦を経験し

経済で復興を遂げた誇らしい日本人像としては

やはり寡黙でそつがないのが標準だろう。

 

特に私は何か起きてから考えるよりは

(とりわけ期日が厳しく複数人で行う仕事は)

何が起きそうか考え徹底的に備えてから臨む

タイプなので、時折マレー人と話が合わない。

 

"XXXが起きた時を想定してYYYをしておきたい"

なることを言えば、"今までXXXは時々しか

発生してない。なぜ今回起きると分かるのか"

というような話になってしまう。

日本なら"確かに、ありがとう気づいてくれて"

という賞賛の言葉が出るようなことにでも、だ。

 

ともあれ、起こることに一通り想定しておきたい

私にとって、大雨が来たらどれほど段取りが

狂うかということは完全に思考から抜けていた。

 

天候のことは考えても仕方がないが、次回以降

周りに相談するのは不要としても念のため想定

しておこうという学びになった。

 

マレーシアは、降水確率が毎日100%なのだ。

 

大雨にうなだれて、博識な同僚たちに尋ね

今の雨がいつ止むか調べられそうかと言うと

みなwhether newsとグーグル検索し

"ずっと雨だね"と週間予報を見せてくれてた。

 

確かに全く雨が降らない日はなかなかない。

結果、作業場に大きな屋根があり助かった。

仕事そのものに大きな影響は出ずに済んだ。

また雨は昼前には止んで朝の豪雨が何事も

なかったかのような晴れ空に変わった。

 

考え方によっては雨がどうとか憂慮する

時間はもったいないのかもしれない。

次回以降外作業の現場に屋根があるかの

確認をすることにして心配を減らそう。

 

私は日本なら「アメミル」を使っている。

文字情報の天気予報よりも、雨雲の動きや

全国の現在の降水量を地図上で見られるものだ。

 

天候の切り替わりが激しく人々の不確実性回避

度合いが低いマレーシア。この状況ではとっさの

出来事に臆せず素早く対応する柔軟性が

日本にいるよりも強まりそうである。

 

いずれにせよ、雨が降ったらどうしますか?

という問答は、レジャーや楽しい計画になかば

水を差すような話だが、仕事では気にかけて

おくべき事柄だ、とくにマレーシアにおいて。

0195_海外駐在、類は友を呼ぶ②

前回の続きで、海外で働くという

広い分類の中で勝手に考えて提唱した

エキゾチック指数を用いて、海外で働く人の

(準日本からどローカルまでの)レベル別にて

下記の通りに分類した考察とその続き。

 

エキゾチック指数

Lv1.大使館勤務

        -日本人でなければならない。

        -日本国に100%守られた処遇。

 

Lv2.日本商社勤務、航空業界

       -日本人である必要はない

       -仕事に必要な英語は限定的

       -海外異動がまれにある業態

       -国際人が多いので異文化を楽しみやすい

 

Lv3.Lv2以外の現地企業勤務(出向)

       -日本人社員の比率が10%未満

       -仕事がローカライズされているおり

        危険度は日本より高いことが見込まれる

       -お客さんが現地人

        高い専門性と異文化適応力が求められる

 

Lv4.現地にしか業種や拠点がない法人、現採

      -わざわざ日本人でなくても良い

      -日本から守られるすべがない

      -現地採用、現地待遇

 

私はLv3にいると自覚しており、がっつり

現地採用の方よりはまだ苦労は少ないが、

Lv1.2の方に比べるとはるかに上回る"現地"

を感じながら仕事と生活を送ることができる。

 

空港勤務や大使館勤務などでは仕事上出会えない

田舎のどローカルフードや言葉が全く通じない

相手とマンツーマンで技術対応をすることなど

"よくそんな仕事してますね"と言われるだろう

海外に放り投げられた感なのだ。

 

かと言って住居や家族を守る保険などの制度

日本の給与と現地の給与など待遇面で日本より

良いという点にとても感謝しているので

どんどん(多少危険でも)大好きなローカルな

世界に飛び込んでいくことができるのだ。

 

これが給与は日本と同等、待遇は悪い、

自分のレベルも上がらないということなら

まず来させてもらっていないだろう。

 

テーマの、類は友を呼ぶについて。

海外へ渡りたい人の性質も多様である。

 

異文化は好きだが、いざ現地ルールの中に

自分が放り込まれることに危険を感じる人は

Lv1の職種を選びその努力をすべきだし、

 

誰に守られなくてもいい。自分は日本は

合ってないから海外でまず働きたい!

という情熱が先行するならLv4で良い。

それが若いなら、なお良い。

 

日本語学校の先生という職種は海外で

よくお会いする日本人の仕事の一つだが、

それでも緑のパスポートを受けて来ている

国費駐在から、まず現地入りして先生になった

人もいる。日本や海外資本の学校法人から

後進国に派遣されたスーパーサラリーマン先生

も実際にはいる。その待遇や経緯は様々だ。

 

私が苦手なJICA経験だけで海外自慢をする

方も一緒にすべきではないがLv1。

経済や医療などの戦績が問われない身分はLv1。

 

医師にも技師にも宗教人にも様々な

思いを持って世界へ出て行く人がいて

これからはよりそれが特別でなくなるだろう。

 

ならば自分が求める特性、"類は友を呼ぶ"

をきちんと把握した上で、現地のどんな特性の

ある人や環境に身を置くのが良いか、

しっかり考えて努力し続けるべきである。

 

私は若くから勢いよりも甲斐性を重視して

出遅れた。JICA経験者を苦手とするのは

若い時代に嫉妬していたことにも起因する。

あいつら成果も求められず国費で行きやがって

というようなひねくれた見方をしていたのだ。

 

海外との繋がりに全く関心のない方とは

もともと全く関わることがないが、それでも

私は海外で関わる人間の数が倍ゲーム状態なので

それでもいいと思っている。排他的思想だが

時間は限られているので、これは仕方がない。

 

そんな私の考えに同調できる多くの仲間と

しのぎを削って日本人のプレゼンスを高める

ための努力をエンジニアとして続けていきたい。

 

ちなみに、Lv3の人の特徴は、

海外で"日本人会"と聞いても、関わろうとしない

ということが顕著である。

海外で日本人に助けてもらわなくても

現地の人の方がよく助けてくれる感覚を持つ。

 

日本には適合できるが、わざわざ海外でまで

依存し続けるのはしんどいという感覚だ。

 

類は友を呼ぶ。周りを見てみて、

同調し合いつつ、自分の高い目標に共に

屈せず近づける仲間を見つけ続けよう。

0194_海外駐在、類は友を呼ぶ①

私は日本の機械メーカーからマレーシアの

現地子会社へ2019年4月に出向した身分だ。

 

マレーシア人社長が率いる約30名のスタッフと

共に仕事をしている。経理・営業・総務・修理

などの専門スタッフが約15名。製造スタッフが

約15名という布陣。

 

日本人スタッフは2名で、1人は部長、

もう1人が私である。ということで、

外国人ばかりの中に1人働く日本人という

ローカル感の高い現場で働いている。

 

今回、海外で働くことで一括りにせずに

処遇や環境や職種などから、ローカル感の強さ

(いかに異国情緒があるか)ということを

エキゾチック指数として分類してみた。

 

ちなみに、エキゾチック指数が低い順から

思いあたる駐在の職業を挙げていくと、

(あくまでこちらで見聞きした上での偏見)

 

エキゾチック指数

Lv1.大使館勤務

        -日本人でなければならない

        -仕事で日本語を使用する

        -日本国に100%守られた処遇

 

Lv2.日本商社勤務、航空業界

       -原則日本人である必要はない

       -仕事に必要な英語は限定的

       -海外異動がまれにある業態

       -国際人が多く異文化を受け入れやすい

 

Lv3.Lv2以外の現地企業勤務(出向)

       -日本人社員の比率が10%未満

       -業務や現場がローカライズされていて

        危険度は日本より高いことが見込まれる

       -お客さんが現地人

        高い専門性と異文化適応力が求められる

 

Lv4.現地にしか業種や拠点がない法人、現採

      -わざわざ日本人でなくても良い

      -日本から守られるすべがない

      -現地採用、現地待遇

 

知る限り感じる限りで分類してみました!

程度の話なのだが、的を得ているはずだ。

 

行政や公の機関が出している情報から

見えるのは、あくまで無機質な統計で

正確な情報として学術的に扱いやすい一方、

ドラマチックに海外事情を知りたい方からすると

甚だ、分かりにくいデータであると私は思う。

 

「海外で活躍する人材」という大分類の中には

そんなもん海外で活躍するうちに入るかよ

というようなほぼ準日本の生活という方から

なんでそんなにまでして海外にこだわるのですか?

といえる日本からかけ離れた方まで、その層は

幾重にも渡っている。仕事の有無、内容もあり

また滞在の目的や期間もさまざまだ。

 

私は先述のLv3に分類されるのだが、

Lv4も2も目指すことはない。今のままがいい。

 

その理由が今回のテーマ、類は友を呼ぶ、だ。

申し訳ないが本心ではLv4の方を気の毒に思う。

Lv1の方は社会的に立派だなと思う反面、

自分なら退屈で憂鬱になるだろうなと感じる。

 

マレーシアへ来て、現地採用の方にお会いした

数はまだ5人ほどだが、駐在で来た方にどこか

嫉妬するような意見を数回見聞きしたのだ。

以降あまり親近感がわかずにいる。

 

具体例は、日本人だけのチームスポーツクラブに

私が見学で参加させてもらった際、プレイ面で

何も隔たりはないのだが、遠征に行った際、

駐在は高級ホテルに泊まり、現地採用は安宿に

泊まるという軋轢があるという話を聞いたのだ。

 

安宿で満足できないなら稼ぎなさいと

言いたかったが、現実は駐在と現地採用

大げさに行って倍以上、給料が違うようだ。

 

日本、マレーシアでは物価が3倍違うと

言われているので納得できる指数である。

大学新卒者の初任給データなどは、私は

ローカルから生の声を聞いて知っているが、

インターネットでも調べられるだろう。

 

現地採用はその待遇のために日本を離れた者、

家族を養って働きたい私からして理解不能だ。

 

理解不能なのはしかし、お互い様なのだろう。

その理由はやはり、類は友を呼ぶ、である。

 

次回に引き続く。

 

0193_褒めることの効果

誰だって褒められたいし評価されたい。

承認欲求がある。普遍的な願望である。

 

「嫌われる勇気」では承認欲求を捨てて

人の評価の世界に生きず自分の人生を生きる

ことの問答が書かれた名著だが、差し詰め

私が得た学びとしては、自分の承認欲求と

うまく向き合う姿勢を身につけたことである。

 

卓越していることや周りと比較する必要のない

要素に関しては、承認欲求が生じにくい。

 

例えば、趣味で続けているこのブログだ。

閲覧数が0でも"閲覧者"や"周りのブロガー"を

気にすることがなく、また発信者としての評価で

飯を食うわけでもなく、1000件の目標のために

テーマを探したり時間を作ったりで、

成果を楽しむものでなく、あくまで

"やる"ことに楽しみがある。自分が自分を

勝手に評価するだけだ。従って他人に認めて

もらおうとする欲求、承認欲求は生まれない。

 

俺の独り言を聞いてくれ、という動議はない。

聞いて欲しければ相手に向けて言うのである。

 

では、仕事や家庭など相手がある場合はどうか。

 

仕事での承認欲求は良くも悪くも働くだろう。

・プロジェクトメンバーに選ばれる

・自分の提案が採択される

・他者との競合で自社が勝つ

 

などビジネス上での成功のシーンには

実際誰かの承認が発生して成り立つからだ。

 

個人でなくチームで仕事をしているにしても

自身の存在意義をチームの成功につなげるための

承認欲求がなければあくまで指示をこなす

だけの存在、余人で代えが効く状態だ。

 

しかしながら、人の時間は限られている。

客や仲間など、相手の承認欲求を満たす

ことがあってこそ自分の承認欲求が満たされる

事は多い。これは私がこだわる要点だ。

 

誰でもわかっていることだが、

相手の話は聞かないが自分の話は聞いてほしい

などいうことはビジネスはおろか、家族のように

共に過ごすだけで幸せになれるチームの調和

さえ崩してしまう傲慢な態度である。

 

言葉を覚えたての2歳か3歳の子供ならまだしも

社会に出た人間がもしこの姿勢で過ごしているなら

生活自体はできても人間関係は好転しないだろう。

 

では、次に私が相手の承認欲求を満たせる

ために心がけていることを紹介する。

 

承認欲求は、何も大きな成功や努力を

多くの人に讃えられたいレベルのものでなく

むしろ誰にも言われなくても掃除したとか

時間通りに仕事に来られるよう朝早く自宅を

出ているとか、そのレベルから発生する

人間が、ことマレーシアでは少なくない。

 

日本人から見ると当たり前と思うのだが、

日本人は洗練されすぎているのである。

 

技術者、ビジネスパーソンとして、

怠惰な考えには頑として譲らない心の強さは

持たなければならない一方、日頃から気さくな

コミュニケーションを取って、"承認を伴わない

ありふれた会話"がなければ、個人的に重要な

相談はされることがないのだ。

 

日頃から当たり前のことを当たり前にしてくれる

ことに対してきちんとお礼を述べておくことが

何かあった時に強いくさびになってくれる。

 

私がマレーシアの工場現場で強く心がけたい

理由として、日本の上司とどうも日頃からの

コミュニケーションを取る習慣が持てなかった

という、やや苦い経験を持っているからだ。

 

喫煙室で休憩する者が日頃のコミュニケーション

を取れて、それ以外の者は雲散霧消。群れることや

話すことをせず工場内で静かに休憩する。

こんな文化があったのである。

違いは人間性というより、煙草を吸うか吸わないか

ということだけであった。

 

私は喫煙しないので後者の立場で、上司と

話す機会を持てるのは業務中のみ、日本の

製造現場は、他社は知らないが戦後の風土を

残したところがあるのか。私語を嗜むことや

仕事に関係のない行動をとることが非常に強い

悪として認識されているところがある。

理由は生産に結びつかないからである。

 

しかし承認欲求は仕事の出来栄えや給与で

一定数満たされるところがあり、職人たちは

寡黙に技術を磨く道を歩むことが自然になる。

 

ともあれ、マレーシアではそんな風土はなく

ゆるい。だらだら話しながら時間も日本ほど

厳しく制限のあるものと捉えずに働いている。

 

そんな中に日本から来た厳格な技術者として

日頃話しにくい相手、と認識されてしまえば

たちまち相手の承認欲求を満たす機会も

逃げていってしまうのである。

 

前の上司をうまく反面教師にさせていただき

相手を満たしたい。まず、良いところを探し

褒めちぎることから始めている。

誰にでも褒めるべき要素はあるのだ。

 

Tシャツかっこいいね、とか。

食べてるスナックをもらって、おいしいねとか

そんなレベルでも良いところを見つけられたら

褒めさせていただく。もちろん、当人の人間性

を褒めることもあるが、これは"あいつは褒めて

あいつは褒めてない"ということになりかねない

ので、よほど特筆すべき特性や苦労がなければ

偉そうに褒めることは控えている。

 

チーム一丸となって互いが満たされた状態で、

お客さんに満足してもらえる品質の機械を作る

それが私の命題であり、働く喜びなのである。

 

そのためにできることを考え行動し、

些細な周りの感情の機微や影響をよく見て

修正に修正を重ねて自分のスタイルにしたい。

 

いずれにせよ、相手を褒めたいという欲求が

私自身の承認欲求をいつも満たしてくれるのだ。

 

褒めることの効果で未来を明るくしよう。

 

0192_ラストタイム検査と思考停止

前回思考とでもいうのがいいか。

 

製造の仕事で、とりわけ上司と部下の間で

頻繁に見聞きするのが、"前回どうだったの?"

という問答である。これは問題が発生したら

過去にも同じ問題がなかったを参照し、

過去に問題がなければ原則今回も問題なしとし、

過去に問題があれば過去の対処を参照するという

トラブルシューティングの基本中の基本だ。

前回どうだったかを尋ねられたため、

調べた結果の前回についてお伝えする。

ごく当たり前にある会話である。

 

これに経験値が伴えば、過去の経験を

自分や会社のデータベースから引き出して、

素早く正しい対処を取ることができる。

前回、前々回という風に人の行動は

蓄積されていくのは言うまでもない。

 

今回述べたいこととして、前回、という着想が

場合によっては思考停止といえるこだわりになる

という点に私は気がついた。

 

聞かれてもない前回談が多いのは、

着想が過去にのみ向いている証拠である。

 

思考停止という言葉は、どちらかといえば

「私は常にアップデートしています」という

姿勢を持つ側の人間が、そうでない者に対し

半ば揶揄するかたちで口にする言葉である。

 

何か失敗をした本人が「しまった、思考停止

してたから失敗した!」とは原則使わない。

 

周りが見えてない人が外から見られようなもので、

思考停止している当人はそれを理解し得ないのだ。

 

ただし、思考停止とは知らぬうちに陥る症状だが

他動詞的用法として使われる。つまり、

当人が、思考を停止させているということだ。

思考が自力で勝手に停止するのではない。

 

何か意思があっての思考停止だが、その意思とは

怠惰やおそれに近いものがあって、勇敢であれば

思考停止という意思は発揮されない。

つまりは無力でネガティブな容体で使用する。

 

ある人が他人の行動を表現する時に、

とりわけビジネス書など繁栄と革新が課題に

なっている書物では、(光に対しての)闇として

用いるのが見られる。思考停止に陥ることは

革新や繁栄の英気が鈍化する、すなわち悪だ。

 

だが、私の見解では思考停止かどうかは

当人では気づくことがない。私は思考停止

してませんと言い張る人でも、数ヶ月全く

忙しいうちに新しい出会いやまだ叶えていない

夢に億劫になり、それをはたから見て思考停止

だと言ってしまえば、誰もが陥る可能性がある。

 

ここまで述べておいて更に混乱に導くが、

人付き合いや仕事や楽しみを選べるこの時代、

誰もが思考停止なのである。問題はどの要素で

切り取るか、である。経済やIT技術や、

特定分野の学問領域やアートの分野などで

ピンピンに尖った最先端を行く人でも

意外に英会話となると思考停止だったり、

服装やグルメについて思考停止だったりする。

 

英語に関しては社会性が極めて高く、

またグルメやお酒についてもその会話から

社交性を高めることが見込まれるため、

割とすぐに自覚できるところで改善可能だが

流行りの服装に対しての思考停止や、

異性や自分の子どもたちにとって魅力的で

ありたい意欲の欠落は、思考停止状態でも

害がなく、周りが咎めることがない。

 

前置きが長くなったが、それを量るために

前回私は…という切り口で短いスピーチを

テーマ別にしてみるのが良いと私は提唱する。

端的に話すのがいいので、英語を推奨する。

 

仮に、テーマ週末のレジャー!として

Last time I went to zoo with my son..

行ったのがLast monthならにレジャーついては

思考停止ではないだろう。正常にアップデート

されている印象を受ける。

2 years agoなら(私の見立てでは)アウトだ。

 

セーフなら動物園より他の思い出がぱっと

言葉に出るはずだからである。

絞り出しての2年前。これはもはや何もない。

 

年齢にもよるだろう。70歳の方にとって

Last timeの話が20年前でもそこは仕方がない。

先がそう長くないだろうからである。

 

20歳の方が話すLast timeが10歳の頃の話なら

若年性思考停止と呼んでよいだろう。

とにかく、ちょっと前のことを新鮮に記憶して

ずっと前のどうでも良いことは気持ちよく忘れ

新鮮さを保ち夢を持てばいい。それだけだ。

 

かくいう私もありとあらゆる分野で

思考停止気味だろう。仕事と家庭と好きな

読書やアクティビティを通じて常にアップデート

しているが、テレビやニュースを全く見ず、

人を信じず、人に無闇に魅力を感じないのだ。

 

思考停止と言われてもよい分野と、

それだけは自分が許さないという分野を

うまく切り盛りして自分が思う一流を目指して

前進主義でいて情報や交友関係に常に

アップデートの時間を持ち続けたい。

 

ブログのアップデートも、発信することに

思考停止にならない、ボケ防止だと思おう。

0191_無宗教とは何か

はっきり伝え申し上げたいことがある。

それは"無宗教フリーエージェントではない"

ということである。自分の肝に命じたい。

 

宗教の勧誘は、しても一度きりにして下さい。

何回もされると、大きなストレスになります。

これは無宗教の人間が切に願うことです。

 

あなたも私のように無宗教になりませんか?

きっといいですよ。と言ったら怒るだろうに。

 

なんでそっちからばっかりしかけてくるんだ?

 

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そんな憤慨を手記の中から見つけて、笑った。

私が感じたことなのだろうが、記憶にない。

 

攻守のアンフェアが許せなかったんだろう。

 

何も伝えたいことも含みもないので、

今日はそれだけにしておきます。

0190_マレーシアで山登り

趣味の一つに、山登りがある。

 

泊まりでがっつりテント張って登るほど

装備は充実していないが、海外出張でも

使用しているボレアス(米国)のカバンや、

Montrailのトレッキングシューズは日本から

持ってきたので、日帰りの登山なら十分に

楽しめる。さっそく先日山を登ってきた。

 

仲間探しはmeet upというアプリを使用した。

私は2年前ほどから登録しており、最近は下火に

思えるが、それでもアクティビティ探しには

うってつけ。とくにマレーシアのように英語が

共通言語で、移住者が多い環境であれば

有意義なコンテンツがたくさんある。

 

その中で気になる登山団体があったが

億劫でかつ登録を煩わしく思っていたところ

幸運にも同僚の1人がその集まりに参加する

と言ったので、紹介で仲間に入れてもらった。

 

朝7:30の集合時間があり、7:00前には現場に

到着し、同僚を除く、20名ほどの知らない

登山仲間と合流してハイキングは始まった。

 

コースはロイヤルセランゴールクラブという、

ゴルフコースやレストラン、ジョギングコース

やスイミングプール、テニスコートなどが

用意されている会員制クラブの敷地内の

森の中を歩いていく内容で、その山を熟知した

2名のアテンドの方が導いてくださるので

一度も迷うことなく約4時間歩いた。

 

場所がモントキアラのすぐそばにあり、

とくにマレーシア特有の見所は多くなかったが

白い猿がいたり、リスがいたり自然を感じさせ

鳥の鳴き声もいつも聞くものと違うのが多く

ゴムの木やバナナの木などが鬱蒼と茂る中を

知らない仲間たちと自然と触れ合い交友を深める

時間はとても有意義だった。面白いのは、

自分が歩く中で自己紹介をしていくうちに

最初はマレーシア人だと間違われていたこと。

 

どう見てもマレーシア人ではないと言いたいが

中華系マレーシア人なら私に似た人はいるだろう

ともかく場所に馴染めていることは嬉しい。

 

さらに言えばハイキング仲間は皆、富士山や

阿蘇を登ることを夢見ており、私が日本から

来た者だと知るとかなりの歓迎ムードだった。

 

やはり日本人であるということで

海外で出会った相手が喜んでくれるのは

自分が日本を大好きになる瞬間でもある。

 

日本と違い、マレーシアの登山道には

決まりごとがあまりなく、歩いているところを

ダウンヒル(マウンテンバイクで山下り)の

人達がごめんごめーんと言って走ってきたり

トレランの人が猛ダッシュで降りてきた時は

草がザザザと急に音を立てるので大きな

動物が来たのかと思い、最初は驚かされた。

 

悪く言えば無秩序だったが良く言えば自由と

お互いを尊重する風土が見られる山の中だった。

 

山登りは汗をかくし疲れるが、やはり

仕事で汗をかくのと全く違った清々しさがある。

 

そして何より自然の中で出会いがある。

海外で登山をすると、余計に開放的になる。

なぜなら、話すお互いのバックグラウンドが

違いすぎて質問だらけで話が尽きないのだ。

この登山は月に一度は参加しようと思う。

 

中華系のメンバーが多かったが、

人種に関係なく、登山をする人は時間や

人間関係にギスギスすることを望まない。

 

山の高さや絶景に魅せられるようなハイレベル

の登山が出来ることは遠い夢であるが、

次の目標はラフレシアという肉食の草を

見るために山を散策することである。

 

新しい自然や人との出会いが楽しみだ。