ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0285_BEGBARDURはどこにある

マレーシアの郵便の話。

 

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2020年3月現在流行しているコロナウイルスにより

日本マレーシアともフェイスマスクの入手が

困難になっている。

 

私の子どもが通う日本人学校では、

ウイルスの広がりを懸念し、児童のマスク着用を

義務とした。対策はよいが、マスクは入手困難だ。

 

それを聞いて心配した奥さんのご両親が、

わざわざ時間とお金を使って日本からマレーシアへ

郵便でマスクを送ってくださった。

 

ところが、それがなかなかに届かない。

あまり焦る事なくかまえていた私たち夫婦だが

送って下さった側は気が気でなかったらしく、

日本の郵便に発想状況を確認された。

すると、もう届いた事になっていると

なっていたらしく、私たちには届いていない。

 

国際郵便は個別の案件番号を持つので、

その番号を、マレーシア側の郵便制度が持つ

追跡機能でもってインターネット上で確認した。

 

そこには現在の配達状況として

BEGBARDURに既に届いている、となっていた。

 

ベグバードゥアー?どこだそれは。

グーグルマップやWazeの地理情報で調べたが

何も検索される情報はない。

 

もしかして、高値で転売するためにマスクだと

分かった誰かが盗んだのではないか、と

妻と疑ってしまった。しかし結果的には

BEGBARDURは、住んでいるコンドミニアム

守衛さんの一人の名前であった。

 

友人のローカルマレーシア人に尋ねると

どこじゃなくて、誰だよ。これは多分人の名前、

普通はコンドミニアムは守衛さん(ガードハウス)

に渡しておしまいってことが多いよと聞いた。

 

守衛さんとは毎朝毎晩顔を合わすが、

お互い名前を知るわけではなく、ましてや

ガードハウスが一時的に預かってくれているという

常識がかけていたがために、マレーシア人の

配達屋が盗んだのではと疑ってしまった。

全く恥ずかしい話である。

 

マスクが届いたので無事に着用義務を

果たして生活をできているのだが、人によっては

使い捨てマスクを洗いながら使わざるを得ない

という声も聞く。日本人の同調圧力は異常だ。

 

致死率3%(私よりは20%)という新型肺炎の猛威。

でも、騒ぎすぎなのではないかと私は思う。

 

ともあれ、2020年は東京オリンピックの開催年だ。

日本はコロナウイルス発生年の2020年前までは

立派な先進国だった…と自分の子どもたちに

伝えるような未来が来ないことを願い、今は

自分は技術者としての職責を全うしよう。

 

春にはどうか収束へと向かってほしい。

0284_夜中に考え事をすると

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夜中に考え事をすることについて

私の現時点の考えを記録する。

 

夜中に考え事をするのは良いことか

それとも悪いことか。どちらも、か。

 

私の考えでは、まず夜中に考え事を

もししたいなら守るべきことがある。

 

・適度な飲酒量または飲酒しない夜中

・疲れているが眠れないはNG、寝る

・考え事=悩み事であってはならない

・建設的な考えかどうかは翌朝判断だ

 

この四つは(とある夜中の思いつきだが)

私の経験上、守るべきこととして記録できる。

 

その解説を前に、考え事の無意味さについて

先に考察しておきたい。例えば、真っ暗な夜に

森の中に迷い込んだとして、どうやったら

自分の周辺が明るくなるか考えるとしよう。

 

火を起こすのか、持っているランプを使うのか

朝が来るのを待つか。

ここで必要なことは、およそ以下のどれかだ。

 

・手持ちのライターで火起こしを始める

・ランプで辺りを照らし、その明るさが

 自分を救う灯になるか確認する

・安心して休める場所を歩いて探す

大切だろうこれらは、行動するということだ。

 

・ライターの代わり、火起こしを調べる

・ランプが何時間点灯し続けるか考える

・朝が何時間後に来るか考える

というような、"決断と行動を伴わない時間"は

極力短くした方が良い。

 

暗い森の中にいることは危険なので、

身を守らなければならない。そうなると

生き残りをかけて自分の手持ちの道具や経験や

勘や運に任せて、手や足を動かして行動するのだ。

 

理論上自分は助かるかどうかを考える。

生き残りをかけた時、考えている時間などない。

 

"考えている"ことは"逃げていること"ではない

にしても、前進してます!と言いきれるほどの

行動だとは言えない。考えるだけ前に進むほど

人間の体や自然環境は便利ではない。

 

話を戻して、夜中にもし考え事をするならば

何かに書き留めることが重要だ。そうでなければ

大体の無駄な考えや不安が寝ることで精査され

「昨晩遅くまで何考えてたのだろう」となる。

 

書き留めたことが人生に有効なら、書き換えたり

夜中の考えは無駄だった、と切り捨てたり、また

何かしらの行動につなげることができる。

 

成果を問うことなしに考えることは簡単だ。

 

倉嶌 洋輔さんが、VOICYのBook Cafeの

対談でおっしゃっていた面白いと数値を

紹介しよう。人間の脳の消費電力についてだ。

 

ぼーっと何も考えてない時:20W、

一生懸命頭を回転させる時:21W。

 

必死に考えたところで、一個人の発想と行動の

量や質が10倍、100倍になることはない、と

この数値は教えてくれる。

 

それならいっそ、使う必要のない電力(考える時間)は

抑えて、休める(寝る)方がいいだろう。

 

結論、夜中に一人で考え事をすることよりも、

心地よい日差しの下や誰か有力な、自分にない

着想や反応を持ってくれている誰かと、

時間を決め、"決断する覚悟で考える。"

ということが有効だと私は考える。

 

無駄な時間にしたくないなら、夜中の考えを

自分に分かりやすく言語化し、記録し、

朝なり翌日の夜なりに、再確認するのが良い。

 

無駄な時間の経過は、大切な時間の浪費で

浪費が多い人ほど不安や焦りが募るのだ。

 

効率的、という言葉があまり好きでない私だが、

健全な行動を続けているかどうか、

できるだけ活動をしている最中に深く考えたい。

0283_夢のチケットを入手した

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飛行機が乗り放題になるチケットが

あったら欲しいなと誰もが思うだろう。

航空・宿泊などのホスピタリティビジネスに

関わる人でも、意外とその夢を掴む人は少ない。

 

私は過去に、営業として訪問した客先の社長が

忙しく海外を飛び回る宮崎県の片田舎にいる方で

その方から驚くべき航空券のことを教わった。

それは、まず100万円以上するという前提は

あるが、ある航空協定の路線が一年中乗り放題

になるというものだった。

 

「世界一周航空券」という言葉で調べると

各協定(航空会社群のことで、アライアンス

と呼ばれることが多い)のサービスを見られる。

 

私がお会いした社長は100万円以上すると

おっしゃっていたが、条件次第では50万円

以内でも手に入るものも見受けられた。

 

しかし、世の中の大半の人にとって旅は

非日常のものであろうから、事情があって世界を

飛び回らなくてはならない人以外にとっては

この"飛び回れる代わりに非常に高額"という

選択はまず、得たいものとして考えられない。

 

旅がしたくていつも空想している私ですら

"その数十万円から百万円の自由があるなら、

航空券でなくて形に残る、スーツケースや

現地での滞在費、イベント参加費などにあてて

移動はLCCで都合よく直前に取れればいい"と

考える。つまりは、世界の◯◯さんと

呼ばれるクラスの人物でない限り、世界一周航空券は

時間とお金の浪費(漠然と旅をする人にとっては投資)

となるだけで、生き抜くための手段ではない。

 

長くなったがそんなことで世界一周航空券は

夢のまた夢であった。ところが簡単に手に入った。

 

エアアジアが発行した「Unlimited Pass」

という商品だ。2020年3月7日に発売終了している。

運良く3月7日にそれを知った私は

(旅のお守りになるだろうくらいの信用度で)

即座にこれを購入した。使い方は未定だ。

 

発売が完了した後にこれを買えばいいとか

買うべきじゃなかったという話はしない。

 

しかしながら"航空機乗り放題"を、

どんなに悪いレートで考えても1.5万円以内で

いとも簡単に手に入れることができた私は

本当に幸運だと思う。

 

手に入れたことの喜びの大きさは計り知れない。

つい、貴重なウイスキーを4ショットほど

飲んで気を大きくしてから取得したもので

まるで背中に羽が生えたかのような気分だった。

 

私が言いたいことは、手に入れたいものは

忘れたり否定したりすることさえなければ

ちょっとずつ向こうから自分に向かって

歩み寄ってくれている、ということだ。

 

時間はかかるだろうし、手に入れてみたら

思いの外機能しなかったり見栄えがしないことも

あるが、手に入れようという気骨さえなくさなければ

"欲しいものを得られない"という悲観は無用だ。

 

必ず手に入れてみせよ。と、言いたい。

周りは勝手にすればいいことだが、

私は欲しいものは必ずこれからも手に入れる。

 

安定した平穏、財政基盤、交友関係の自由、

揺るぎない健康・若さ、子どもの成長など。

望むものはたくさんあり、すべて叶えたい。

 

ないものねだりでなくて、今あるレベルの

健康なり財政基盤を少しずつ重ねてより良く

することで大切な家族や仲間を豊かにしたい。

 

さて…どこへ飛んでいけるだろうか。

Unlimited Passは一年の有効期限を持つ。

 

正月、今年は10か国に行きたいと願ったことに

思わぬ追い風が吹いた格好になる。

この機を逃さぬよう生きるのが楽しみだ。

0282_トイレットペーパーがない

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2020年1月から3月3日現在まで世界中で

話題になっているコロナウイルス

更には全く関連しないようなトイレットペーパー

が薬局の店頭からなくなるというニュース。

 

私はマレーシアに住んでいるので、

YahooニュースやTwitter、ラジオのVoicyなどで

日本で起きていることを日頃見聞きする。

 

そして、日本特有の問題を目にするのだ。

①トイレットペーパーが店頭からなくなり騒ぎに

②ドラッグストアの店員さんがそれをお客に謝る

この二つのプロセスは非常に日本的だと感じた。

 

まず、マレーシアでもトイレットペーパーの

デモが流れたらなくなる可能性はある。

しかし、国民の七割のムスリムは、トイレットペーパーが

なくても健康な左手さえあればことたりる。

 

トイレットペーパーが在庫切れでなくなり、

みんなが困ってそれがニュースになるのは

 

・適正な在庫を準備している企業側努力と、

・各家庭にも適切な在庫を持つ個人の思想

 

この二つが機能しているから起こり得る、

つまりニュースになる価値があるのだと思う。

 

東南アジアのゆっくりとしてありのままを

受け入れる姿勢は、(偏見もあるが)この通りだ。

 

1.なくなったら買いに行く

2.買いに行ってもない

3.気にしない

 

これを日本人が見習うべきだとは決して思わない。

気にしないことが何か他の災をもたらす

かもしれないと日本人なら推察できるからだ。

 

次に、マスクやちり紙の在庫切れに対し

店員さんが在庫切れを客に詫びるという姿勢。

 

これは今後変わっていく文化だと思われるが

日本にもまだ在庫切れを客に詫びれるだけの

立派な日本人がいるのだな、と私は感心した。

 

働くことに無気力で、ただ勤め先で限られた

役割を担うだけが「仕事」な人なら、

謝る姿勢も見られないだろうから。

 

マレーシアなら、立派な薬剤師の資格を持った

店員さんでさえ、「在庫がないのは在庫担当

の人間に確認してほしい」と考えるだろうし、

ましてや在庫がないことを店員さんに対して

怒りの感情を表せる人間は多くない。

 

そこにないんだから、怒鳴っても出てこない。

それはよっぽどひずんだ認知を持ってない限り

冷静に考えたら分かることだ。

 

しかし、日本人にはいまだに、

コンビニであれドラッグストアでさえ

自分は来店した立派な客なのだ、という

立場を認識するたちがあるのだと考察する。

 

良い点も悪い点も見られるが、

トイレットペーパーのニュースに関しては、

買い占めをしている人間を洗い出して世に

公開して恥を知らせる、または悪い行いを

したとして裁くようなこともせず、

ただ「みなが万全に備えられるよう」

「本当に必要とする人がいたら助けたい」

という息吹を持ってみんながこの情報を

扱っているように感じる。

 

いつも言うが、私からすると勝手にしやがれだ。

 

ただ、誰かを思いやる人がこのニュースに

関わっていることで、その息吹を感じることが

できるし、また私のように、大衆と共に些末な

騒ぎ(増税とかトイレットペーパーとか)で

自分の方針を考えさせられるようなことを

避けたいなら、安心できる在庫を持つか、

大切なものがなくなってもなんとかできる

(たとえば手で尻を拭くなどの)技術を身につけて

備えることだ。ニュースは使えるものだけ

使って自分の人生を豊かにすれば良いものだ。

 

みんなと一緒になって不満を口にしたり

自分の至らない様を露呈したりするために

あるのではない。

0281_中華系の結婚式に参加

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中華系マレーシア人の同僚であり同い年の

技術者が結婚式を挙げたので、参加させて頂いた。

 

仲は良いが、今までは仕事上のつながりとして

休日に何をしたか、どんな夢を持って仕事を

しているかなどは知らず、あくまでただの同僚

だった。やはり結婚式という大きなイベントに

参加させてもらうことで、彼を応援したいという

気持ちになることができた。

これからは奥さん元気?や、新婚生活どう?など

ともに家庭を持つ技術者として活躍したい。

 

中華系クリスチャンのマレーシア人の結婚式。

 

日本にいると(私だけかもしれないが)

中華系と言われても全くピンと来ない。

 

なので主観だが、解説しておく。マレーシアに

住む中華系とはまず、マレー語でなく中国語を

生活の言語として使用できる民族のこと。

 

元々ムスリム(イスラム教徒)だったが途中で

やめて仏教徒になった。というのはマレーシアでは

国が推奨しないので、中華系すなわち

ムスリムではない。つまり原則酒も豚もOKだ。

 

しかし、ムスリムでなくとも、中華系のなかには

仏教徒やクリスチャン、無宗教などがいて

一括りに中華系として完全に思想や文化を

特定できるものではない。更には中華系といいつつ

福建(ホッケン)とか広東(カントン)といった

具合で、広い大陸中国の中で、祖先の出身地は

どこかというと、それは一人一人異なる。

 

なので中華系として一括りにすることはすなわち

ムスリムではないということくらいしか

掴めない。ちなみに、もともと仏教徒だったり

クリスチャンだったりしたものがムスリム

結婚した場合はどうなるか。

 

十中八九、その結ばれた2人はムスリムになる。

そうでなければ国(マレーシア)を発つしかないのだ。

 

見た目は中華系だがムスリムという人種を

チャイニーズマレイと呼び、マレーシア人の

中華系のことはマレーシアンチャイニーズとよぶ。

 

細かいことだが違いは大きいので、ここで

詳しく解説をしておいた。結婚した私の同僚は

マレーシアンチャイニーズだ。

 

チャイニーズマレイの結婚式でお酒は禁物だ。

マレーシアンチャイニーズの結婚式はお酒が

良いこともある(人によるので要確認)。


次回は実際に参加したウェディングについて

記録したい。

 

今記録することが出来るのは

マレーシアンチャイニーズの結婚式に

参加して、酒が入ってすったもんだした。

ということだ。

0280_人事部長からの電話

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2020年。2月末の記録。

この時期、日本人駐在員は多少だが気を揉む。

 

それは少なからず周りの日本人の「帰任」の

情報を受け取るからである。

 

日本人にとってマレーシアが住みやすいことは

私が説明するまでもない。ましてや駐在員と

なると、いつまでもいてもいいかもと誰もが

思ってしまうほどこの国の雰囲気は心地良い。

 

会社から派遣される駐在員には大きく2種ある。

任期が決まっている者と、決まっていない者だ。

厳格に決まっているかどうか、とも言えよう。

 

大半の人はビザは2年だけど1年か3年か5年か

はっきりとは決まっていない。前任者は◯年

いたので…というようなもので、

当たり前だが誰も未来は予測できない。

 

そこが会社員の抗いようのない環境的側面で、

どんなに現地に必要とされても駐在なので

いつかは赴任地を離れる日が来るのだ。

 

私は初年度が終わることを目前に控えて、

もう3月になるのだから1年で帰らされることは

さすがにないだろう、とタカをくくっている。

 

そんな中、人事部長からの電話があったのだ。

工場で作業に没頭していた私は着信に気づかず

2時間ほど経って折り返しの連絡になった。

 

「もし自分が急に帰任になったらどうしよう」

という不安が、おもいがけず頭をよぎった。

 

私の周りには、今年度に赴任したが一年未満で

帰任が決まった方(日本人)がいた。

 

数年いらっしゃったが帰任されるという方も

多い。他人の帰任の知らせは寂しく思うし

自分が経験してまだ日が浅い、海外引越しを

されることを思うと労わずにはいられない。

 

いつかは自分も、「この春で帰任です。」と

会社から決定事項を告げられる時が来る。

 

しかし理想は自分から「もう帰任させて」

というまでは、マレーシアで活躍を続けたい。

 

忙しく目の前のことに一生懸命に

やっていればいるほど、その活動に

区切りや終わりが来ることは分からない。

 

春は特に動きが大きく、大きな動きというのは

小さな兆しの積み重ねが作るのだ。

会社員だから会社に従う他ない、と捉えるより

職責を果たし続け、また仲間と喜んで働き続け、

赴任地や共に仕事をする仲間選びは自分で

デザインできるようなキャリアを歩みたい。

 

企業は社会のために存続し続けるものだから、

個人では生み出せない、企業というジェット気流

のような大きな流れにうまく乗っかって

どこまでも飛び続けたいのが私の職業観だ。

 

ちなみに人事部長からの連絡は、

社長と面談するのは電話会議方式がいいか、

帰国時に面と向かって時間を取るのがいいか

という、非常に強く心遣いを感じる内容だった。

 

一瞬でも自分は帰任になるのか…?と疑った

自分はまだまだ甘い。ベストを尽くした上で、

基本的には勤め先の配慮を信じよう。

0279_CASIOの腕時計F-91W

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仕事やアウトドアで使う腕時計で、

Gshockをマレーシアでは一番多く見る。

私もマレーシア出張・駐在で多くの

マレーシア人の若者がこぞって

Gshockに憧れ買い求める姿を見て

自分で買ったしプレゼントでももらった。

 

しかし、最も実用的な腕時計は

CASIOのF-91Wだ。薄さと軽さと

飾らない姿が気に入っている。

かなりハードな組み立て作業で油まみれに

なることもあるし、勢いで仕事終わりに

プールで泳いで遊んだこともあるが

今のところ約3年間電池も変えずに

順調に私のために時を刻んでくれている。

 

腕時計の紹介はこれまで。

 

今回記録するのは、この時計にまつわる

嬉しい出来事だ。私が最初は自分の弟子として

大事に育てたつもりで、いつの間にか私より

技術力も人としても格上だと、気づき

あまり簡単な仕事を頼まなくなったほどの

腕の立つ(そして私より5歳ほど若い)

マレーシア人技術者がいる。

 

彼は、厳格なムスリムで、断食中に

私が昼休みにコーラを飲むのを黙って

車で眺めていたが断食が開けるまで眺めていた

ことを黙っていたほど、甘えのない強い男だ。

 

そして大の日本好き、頭がいい、

力が強い。エレクトロニクスやソフトウェアにも

強い、ゲーマーだ。文句のつけようがない。

 

彼とは、彼自身が難しい仕事を私の指導なしに

ばんばんこなすようになっていってからは

あまり私と仕事中に話すことが減り、

何となく寂しい気がしていたのだった。

 

しかし、どうしてもできる人の手を借りて

行いたい作業があり、勇気を出して私は

彼に手伝ってほしいとお願いしたのだ。

もちろん快く、今すぐ手伝うよと自身の作業を

止めて手伝ってくれたのだが、技術力的に

彼にその作業を主としてやってもらうか、

私があれこれ指示を出しながらやるのがいいか

一瞬、悩んでしまったのだった。

 

しかし私から手伝ってと言ったので、

そのまま私があれせい、これせい、と言って

彼を少し前のように弟子のように使ったのだった。

 

ありがとうねと丁寧にお礼を言った時、

作業開始時に私がすぐ気がついたことを

指摘した。彼もF-91Wの同じ黒を腕に装着して

たのであった。彼ははにかんで、

これは同じチームの証だよと言ってくれた。

 

ローカルスタッフとの接し方は、

特に悩むほど難しいことではないが、

相手が優秀であればあるほど、どんどん

新しいことを教えてあげないと、向こうが

(頭が良くてすぐ仕事になれる分)退屈そうに

日々の作業を正確にこなすようにもなる。

 

そんな相手から歩み寄ってくれるのは嬉しく、

教えたいとか力になりたいとか作業のくくり

だけで捉えるのではなく、同じチームでいる

という普遍的な感覚のありがたさを再確認した。

 

私はこれが壊れた時のために予備の新品を

一つ持っている。私のが壊れても、彼のが壊れ

ても、その新品はどちらかが使えばいいから

と言って同じ時計を使う仲間としての安心感を

共有した。いい仲間は第一に見つけるものだけど

目の前にいるものと末長くいい仲間であるには

ちょっとしたきっかけづくりと喜ばせる

気概が必要だ。これからも続けたい。