ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0313_自分から好きと言えるか

f:id:DAZAIFIC:20200508111859j:image

 

私は友人がSNSに投稿した写真や思い出に、

また買い物に行って出会った商品や、

その店そのものに。好きと思ったら躊躇せず

好きだと表現するようにしている。

 

相手が人であれば「好きだ」とは言わずに

いいねボタンを押し、コメントする。

「食べてみたい」「行ってみたい」

「綺麗な写真やね」といったシンプルな表現で。

 

相手が店や商品であれば、ラベルがカッコいい

とか、味が飾りっ気なくて飽きないとか

自分が感じたことを素直な気持ちで表現する。

 

これは、自分から好きという、習慣だ。

 

これを持っていて大損することはないと考える。

SNSや、自己表現の世界はいわば、

「自分を認めて欲しい」というものに感じる。

 

こういうととても冷たい感情だが、

「我が子が可愛い、健康に育っている」

「行きたかったイベントに参加している」

「このラーメンがとても美味しい」

などのインターネット上での表現手段の多くは

「息苦しい中にも自分の幸せを見つけている」

という、誰かにそれをかまってほしいものが

大半だと私は感じている。

 

私がそんな深層心理のもとに発信するからだ。

 

さて、自分から好きと言えるかというのは、

いろんな人から発信される言葉や価値に対して

「見てます」「ありがとう」の意思表示で、

とくに好きでもないものに迎合する意味はない。

 

好きなものを多く自分に引き寄せるために

あえて印をつけていく印象だ。

 

逆に、「電車が混んでいる」などという

共感できない個人的な情報は、見ないまたは

頻度が多い場合仲の良い人であっても非表示に

したり場合によってはブロックすることもある。

 

また「店名や品名にアクセスしづらい情報」

これも気になるが、いちいち尋ねることや

自分から調べることも面倒に感じてしまうので

見るが、「これはどこの何?」とは尋ねない。

 

あくまで発信されたものには手を加えようとせず

自分なら同じものをどう表現するだろうかと

考える程度で、とにかく目に留まったものは

好きだなと感じたということで、いいね!する。

 

外出規制時にはSNSを見る時間がとても増えた。

そして自分で描いた絵をインスタグラムに

投稿することや、同じように素人で絵を描いて

いる人の活動や作品に目をやることが多かった。

 

好きなものに好きだと言っていると、

何も言わないより、自分のことを好きだと

認知してくれる可能性は広がる。

 

ただこの話の要点は、私は一度仕事が始まると

SNSも絵を描くのも二の次三の次となる。

家を掃除したり子どもたちからの要求に応えたり

何より仕事で世の中のために価値を生むことが

SNSよりも数百倍、「自己肯定感」を保てる。

 

だから仕事の愚痴を言いながら、

本当にやりたいことは仕事の外にある、

といってSNSに自分を映し出すのは危険だ。

 

私が外出規制時にやっていたことは、

アメリカかどこかにある有限のサーバの

容量を使う活動だっただけで(このブログも同様)

それを見て人を救えている実感も実績も

ないので自己肯定感も何もあったものではない。

 

結論、自分から好きと言うことはとても大切だ。

それを健康な気持ちで続けるためにはまず

自分(の活動や生活)には価値があると知り、

自分を嫌いにならないための精神を持つことだ。

 

コロナの影響による家族のストレス、

孤独な駐在という立場、迫る納期、

残業ができなくなった時間の制限…

仕事のストレスは半端なものではない。

しかし、好きだし価値があることに変わりはない。

 

これを他人に言えるようになるまで

ニートだった10年前からかなりの時間と苦労を

要したが、苦労と時間に潰されなくて今がある。

 

今はそう思える幸運な時期だ。これを

安定させて、これから苦労の10年を持つだろう

若い人や挑戦する人を鼓舞し、自分も頑張ろう。

0312_復職を機に感じること

f:id:DAZAIFIC:20200430133719j:image

 

毎日顔を合わせていた同僚たちとの再会録。

40日以上みんなあまり変わっていなかった。

ちなみに私の同僚は100%マレーシア人だ。

(上司の日本人は在宅勤務をされている。)

 

仕事に関しては、残業や休日出勤が禁じられて

いるため、みんな17:00ごろから帰り支度をし

17時半には工場に誰もいなくなっていた。

 

小さな会社の、15人ほどの技術部員。

新型コロナウイルスに感染したという同僚や

その身内はおらず、胸を撫で下ろした。

 

だが、本当に混乱が見込まれるのはこれからだ。

マレーシアのロックダウンはかなり厳重な

都市封鎖、個人行動の取締りだった。

 

これからみんなが働き出した時、おそらく

マスクをすることや手を洗うことなど、

だんだんおろそかになってくるだろう。

 

個人でできることは決められたルールを守り

秩序を乱さないことであると感じる。

 

今は日本内外で、"日本も完全封鎖しなくて

大丈夫なのか?"と心配する声を聞く。そして

感染者数の増加率で見ても、安心できる状態とは

言えない。祖国がとても心配である。

 

さて、復職してみてはっきりと感じたことは、

家の中でのんびり過ごすのと、働くのとでは、時間の過ぎ方が違う、という点である。

 

皆それぞれ、期限や目標を決めて腰眈々と

ものづくりをやっている。中には部品の不良や

欠品を見つける、設計不良に対処するなどの

予想外のこともある。しかしみんなが、

"時間になったら帰るまでに会社にいる"

のではないということだ。

 

私は恥ずかしながら過去に勤めていた通信系

大手企業の事務職で一日にやることが多くなく、

またルーティンも極めれば早くなるため、

1日に多くの暇な時間を持つことがあった。

 

そんな時にはつい、定時になるまであと

2時間もあるのに、明日の朝にならないと

やることが生まれない。というジレンマを持った。

 

そんな平和な場所にいられたのは幸運だった。

しかし、やっぱり血気盛んな私は退屈した。

 

つまり、個人の性格や力量に関係なく、

環境が仕事を充実されられるかどうかを決める。

環境が変わったから、今はとても忙しいが

自分を壊すことなく楽しく仕事ができている。

 

暇しそうになった時は、次の仕事の段取りをしたり

他の仕事の様子を見たりしてとにかく頭を使って

体を動かすのだ。細かい指示書やスケジュールは

ないため本当に自由に動けて、ありがたい。

 

仕事が集中して気の毒な場所やメンバーも

いるが、助け合ってやっている感覚があるので

自分は率先して助けようと頑張っている。

 

仕事も健康も、失いかけた時は大丈夫だろうと

信じ、失ったら絶望するものだと思う。

40日の休業期間が明けて、本当によかった。

 

これから同じ心境に陥るだろう日本人には

"いつかは明けるからそれまでの苦労を楽しめ"

ではなく、"絶望することだけは避けて、あとは

ひたすら時間が経つのを待て"と助言したい。

 

0311_転職活動の是非

f:id:DAZAIFIC:20200430015211j:image

 

わらにもすがる気持ち。というと、

逃げ場がなく塞がった気持ちの状態で、

たとえリスクや可能性を度外視してでも

目の前にある何かに自ら望みを託して

勇敢に掴みに行こうとする様だ。

 

おそらくCOVID-19(日本でいうコロナ禍)の

余波から経済的にドタバタと苦境に陥った人は

2020年春の時点で、多く存在するだろう。

 

また、医療サービスや道路・鉄道のサービス、

スーパー、飲食店など、生活の根幹部に

携わっている人間はその辛さは別格だろう。

 

更に家に子どもがいたり、世話を必要とする

家族がいたり、自身の健康状態が万全でなかったり

した場合はもう想像に耐える次元ではない。

 

私は、コロナ禍をテーマに何か話したいとか

頑張っている人に自分のリフティングを

見てもらって勇気を与えたいとか、

観光産業のショックから売れ残った和菓子を

医療従事者に寄付して元気付けたいとか

そんな気の利いたことは何もできない。

 

ただ、遠いマレーシアから傍観するだけだ。

本当に辛い人に何もしてあげられないのだ。

 

だが職業観について悩む人には伝えたい。

転職は最終手段である、ということを。

 

転職にも様々あるので、"華麗なる転職"を

目指せる方は限られているのが現実だ。

 

私は人生で転職は2回しか経験していないし、

転職理由も中学生のような稚拙な理由だったので

深いことを言えるほどの成功体験はないが、

自分がもしこれから転職を考えるなら、

指針ははっきりしているので、記録する。

 

もし転職をするならその組織の(に)…

 

第一に、"経営者を死ぬほど愛せるか"

第二に、"丁稚からでも属したいか"

第三に、"自分が幹部になれるか"、だ。

 

転職自体は2回だけの経験だが、転職活動に

関しては経験がある。貴重な挑戦と失敗の経験だ。

 

今のままではもうダメだ、と悟ったタイミングで

ヘッドハンティングの連絡に応じて面談したり

自分から転職を斡旋する業者に連絡をしたり

 

"わらにもすがる"転職活動を経験し失敗した。

だが、わらにもすがる思いでもがけば分かる。

私が理想とする上記三つの指針とは遠い、と。

 

今の仕事は、丁稚同然の処遇から努力した。

経営者のために会社を良くしたいと行動した。

幹部になれるかどうか、自分の頑張り次第だ。

という前向きな感覚がある。

 

これは感覚だ。数値化できず票には残らない。

 

なので他所の企業の求人票を見ても

ビビビッッとくるものは残念ながら、ない。

 

例え本当に良い条件で、どこかの企業が

貴方様を幹部にしたいといい、魅力的な経営者と

出会い、仲間たちも事業もとても良さそうでも

自分が命がけで続けた技術者としての旅が

まだ中途半端なのである。おそらく、

もう旅はいい。となる時までは(転職は)無理だ。

 

それでもふと間がさすことはある。

 

キャリオクという新しい形を知った時に。

香港にいる人材のプロを紹介しようかと

信頼できる知人から(頼んでもないのに)

連絡を受けた時に。何より感染症と戦う社会に

よって、自社が事業縮小する可能性を考えた

時に。

 

次転職するならスタートアップ企業かな…

なんていう空想に浸ることもある。

 

結論、私から転職はやめとけとも転職してしまえ

とも逃げろとも逃げるなとも死ねも死ぬなもない。

 

ただ、わらにもすがる状態となった時の

そのわらを、自分の中にある"初心"が見た時に

はたして輝いて見えるかどうか。冷静であって欲しい。

 

雇用の流動性が高いアメリカにいつか住みたいと

願っていた私は、感染症拡大による規制の直後、

アメリカで即座に職を失った友人の声を聞いて、

流動性の良さで家族もいい飯が食い続けられる

なんてことは決してない、と知った。

 

自分には飛び抜けた芸も安定した人間性もない。

だがやりたいことはある。奇跡的に、

そんな私を海外に放り出した会社もある。

そこに感謝して属している。給与をかわりなく

受け取りながらニートのような生活をして

働きたいと嘆いている。

 

目も当てられないほど、お粗末な人間だ。

だからわらにもすがる気持ちを持ってしまう

自分の弱い部分が今はよく理解できる。

同士がいたらどうか慎重に、と頼みたい。

 

ただ健康を害していても逃げられないのであれば

それは今すぐに武器を捨てて逃げろと言いたい。

 

みんな戦っているから、社会は良くなるのだ。

0310_外出禁止生活を経て

f:id:DAZAIFIC:20200430010339j:image

 

2020年3月18日から始まったMCO

(Movement control order)は3度の延長宣言を経て

5月12日まで続くことが4月30日時点で決まっている。

 

外出規制の対象期間中ではあるが、

勤め先の工場ではいち早く、期間中のやむを得ない

稼動再開の申請をしており、更に運良く許可され

4月27日より段階的な稼働再開へと至った。

 

これから日本が取るだろう段階的な緩和処置と

(あるいはこれから未来に渡って長く続く処置と)

類似してくる面もあるだろうから、記録しておく。

 

その前に私の仕事をおさらいに記録しておこう。

私の勤め先のメーカーの生産現場、工場では

約20名の現場作業員が機械を手で作っている。

 

加工部門がレーザーやブレーキを使い、

自分たちで板金を曲げ、購買部門はマレーシアの

加工メーカーに製作を依頼したシャフトや

波板などの部品を調達し、また日本から

シリンダやモーターなど市販品を輸入し、

私が所属する生産部門がそれらを組み立て、

また協力業者の電気技術者たちが配線工事をし

入電後の調整をし、機械の出荷準備をし、

納品をし、修理をする。とそんな流れである。

 

私の仕事はつまり、目の前の部品を組立し、

また目の前で壊れた機械を直すこと。

"リモートワーク"できるものではないのだ。

とはいえありがたいことに技術の進歩が手伝い、

自宅にいても資料を作成したり、客先に

納品された機械の稼働状況をリアルタイムで

見ることができたり、リモートでできることもある。

 

さて、ではこの40日間で何をしたかというと、

技術資料を6種類ほど、英訳したことと、

ごくたまにある問い合わせに対応したこと、

前から見ようと思っていた勉強会動画を見たこと

業務日報を見たことなどだ。おそらく1日に

1時間働いたかどうか、というのが正直なところだ。

 

しかし私は30日過ぎた頃に胃炎を患った。

 

酒を断ち、子どもと楽しく遊び、妻を労り、

上司や会社からは仕事の圧力どころか、

「こんな時だから家族優先で」と労られ、

家は広く快適で、とにかく、自由だった。

 

それでも1日1時間働けばいいという感覚では

なく、"自分から何も価値を生み出せない"

という自責の念に近い気持ちから、夜には

多くの仕事にまつわる怖い夢を見続けた。

 

復帰したがうまく手が動かない、忘れている、

困ったお客さんを前に機械がわからない…

といった、敗北感を伴うような夢だった。

 

私は今まで社畜と呼ばれる人間を下に見てきた。

会社の愚痴を言い、日曜夜に憂鬱になるような

弱い男は相手にしないという、自分の中で

働くことの前向きな信念を持ってやってきた。

 

ところがこの胃炎や寝た後の悪夢といえば、

元気な社畜よりも、不健康な体裁であった。

働きたいという欲望に勝るものはない。

労働を課されたいのではなく、とにかく

誰かの役に立つことがしたかった。

 

いくら稲盛和夫さんの伝記を読んでも、

坂井三郎大空のサムライを読んでも、

YouTubeでエレクトロニクスの解説を聴いても

明日も明後日も工場で働くことはできない

という事実だけが自分を苦しめ続けた。

 

周りの仲間たちはどんな風に過ごしたのだろう。

会社は学校ではない。第一に力が試される場所で、

自身の成長で以って社会に貢献するための舞台だ。

 

とにかく仲間の一人でも多くが

何もなかったかのように出社し、

これからも何も悪いことはないと言わん表情で

失った1ヶ月半を取り返す仕事をしたい。

 

現実、混乱は目に見えているが、

今まで忌み嫌い続けたマレーシアのゆるさが

この再稼働にはうまく作用し、ストレスなく

ゆっくりと元の生産に戻っていければと願う。

 

こんな時にでも人の役に立てるネットワークを

持っていればよかった。自分がやったのは

クラウドファンディングや募金程度のこと。

 

絵を描いたり、新しい出会いを探したり、

恩人たちに感謝の念を抱いたりして過ごしたが、

やはり基礎となる仕事が進んでいないので

どれもその場しのぎの暇つぶしだった。

(後になって格好をつけて"種まき"と表現する

のだろうが、実際の気分は敗戦処理に近かった)

 

祈るしかない要素を多く作る人生は、怖い。

未来の自分(と家族)は今の自分が守らなくては。

 

頑張ろう。

0309_コロナ鬱についての所感

コロナ鬱について考えてみた。

 

f:id:DAZAIFIC:20200423141418j:image

 

コロナ離婚という言葉、そしてコロナ鬱という

これらは外出禁止が始まった2020年3月の下旬には

聞かれる言葉であった。当時感じたのは、

「元からあったリスクが現れただけだろう」

と、それくらいのものであった。

 

仕事に重きを置き過ぎて家庭での居場所を

男が失うと、家庭のバランスが崩れる。

それだけのことだ。自分はリスクの存在を

知らなかったが、家で家事をしたり、

ワークライフバランスについて子どもができてから

深く考えて仕事をしてきたこともあり、

自信があった。

 

しかしこのところ、どうも気が重い日が続く。

これは気が重いだけで、コロナ鬱ではない。

マレーシアは日本に比べて制限令がとても厳しく

日本でそれを知った友人たちは心配の声を

かけてくれていたので、何とか自分を保ってる。

 

ところが、外出禁止となる前の普通の生活で

朝起きていた時間に体がうまく起きないことや

仕事のことを夜夢に見たり、規則正しく、また

孤独でもない、更に仕事は多く待たされず、

正直何もしなくても良い、そんな私ですら

何か体調と心境に変化を感じ始めている。

 

新しく仕事が始まることへのプレッシャーか、

はたまた仕事をたくさん抱えている日本人や

マレーシアの同僚、上司の業務日報を見ること

が自分に焦燥感を与え続けているのか。

 

結果冷静になって、コロナ鬱のことをよく考えた。

安直にGoogleでコロナ鬱と入力し、何か参考に

したい記事がないか見たところ、私が目にした

のは、アスリートたちがコロナ鬱に陥って

いるのでは、という時事通信からの記事だった。

 

確かに、なるほど分かった。と理解ができた。

最初の数週間はきままに、電気配線を美しく

まとめたり、エアコンのフィルターや天井の

ファンの掃除をしたり、家のための仕事があり

それに頭と体を使うことで「はたを楽に」できた。

 

ところが今は掃除、洗濯、買い物など

「生活をする上で通常発生する仕事」以外に

できることが減ってきた。子どもとの遊びも

一周して、この生活はもはや「当たり前」

となってしまった。それにもかかわらず

世の中にはたくさんの困った人がいるし、

妻は1日に3度の炊事から逃げ出すことはできない。

 

自力で、"これまでの困った状況を打破する"

活動が減ってきたのである。日本の元上司に

なんとなく連絡を取り、製造の道具や作業を

英語にして一覧にして欲しいと頼まれたので

簡単に行った。その時はとても高揚感を感じた。

 

やはり、自分の力で誰かの困りごとのために、

やってきた時間があまりに長かったことが

今のストレスがあまりにない生活との歪みを

生み、心的な過重となったのだと考察する。

 

サッカー選手もお笑い芸人もたくさんの

一流と言える人がオンラインで個人相手に

メッセージを打ち出している。彼らは

お金が欲しい、仕事が欲しいという前提より

"今まで通り目の前の人のために自分の力を

振り絞りたい"のだと思われる。

 

研究者に近いような、リソースもコミュニケーションも

機械的な環境も、何も変わりがない人ならば

コロナ鬱、にはならないだろう。

 

コロナ鬱を感じたら、それまで関わっていた人に

自分からアプローチし始める時が来ている

ということではないかと私は考える。

 

幸い、それを叶える環境は容易に手に入る。

自分を評価して欲しい、とか、自分にできることを

明確に、とかそんなことよりもまずは、

コロナの社会的な変動を機に疎遠になった人を

思い返して、連絡をとってみることだ。

 

もともと誰とも進んで自分から連絡するたちでは

ないならば、尚良い機会でもあるだろう。

 

やはり"外に出られる時を待つ"姿勢は

自分をより苦しめることにつながりかねない。

0308_人の声は起爆剤になり得る

f:id:DAZAIFIC:20200421121119j:image

 

しんどい時に思い出したい

三つのステップを記録する。

何とかして、やる気を出す方法だ。

 

1、とにかく眠る

2、外の空気を吸って歩く

3、人の声を聞いて自分に問いかける

 

1、眠る、よく休む

 

やる気が出ない時は誰にでもあるし、

私は"やる気が出ない"という業界出身者で

ものすごく頑張って"やる気満々の技術者"を

やっている。絞り出さないとやる気が沸かない

タイプなのだ。技術者として訓練し続けた結果

何とか、やる気を保てる人間に転じた。

 

やる気が出ない時の最大の打開策は

言うまでもなく、最低限健康的に食べて

五感をよく休めること、つまり寝ることだ。

 

五年経って"あの時寝たことで人生が狂った"

などということはまずない、寝られないのは

段取りが悪いこと、やるべきでないことに

自分から手を出した可能性が高いと思われる。

 

目の前に鬱積したことを一旦気持ちよく

忘れて、とにかく寝ることがまず第一だ。

 

2、外を歩く

そして、体が許すなら、家の外に出て

外の空気と日光を浴びて、疲れを感じるまで

外を歩き続けること。それらは気が滅入る時に

人と会ったり連絡をとったりするのすら

拒絶したくなる時でも自分の力でできる。

 

この作用を知らないまま「寝られない」と嘆く

人は多く、私も何度もそれを経験してきた。

 

3、人の声を聞く

1.2の段階はまぁまずできるだろうことで、

ここまででやる気がまた元通りになるのであれば

軽傷か、"やる気がない人間"のもぐりだ。

 

本当にやる気が出ない時は外の空気に、日差しに

新鮮さもありがたみも感じないだろう。

 

そうなると、パソコンもスマホも、ブルーライト

が付いている全ての機器を破壊して、泣きながら

自分を責めながら寝続けるしかない…冗談だ。

ここまできたら私の想定の範疇を超える。

専門医の世話にならないといけない。

 

1.2の段階を踏んで、さて、やる気を出すか

となった時に必要なことは私にとっては

人の声を聞くことだ。声の中身は何でもいい。

 

自分よりどうしようもない仲間を探すのも、

自分とは程遠い、先をいく方の声を聞くのも良い。

 

とにかく、どうあってもこの人は好きだ

と思える、または思そうな人の話す声を聞く。

できれば空気のような家族の存在よりも、

少し声を聞いていなかった人や、出会ったばかり

の声に耳を傾けることが良い刺激になる。

 

方法として私はラジオを特にお勧めする。

ラジオなら、聞いているだけでいいし、

声の質がいい人に会う可能性が高い。

 

人は意外と、人と話すことで頭を使う。

好きな人が目の前にいると自ずと、自分の中に

ある美しい気持ちを体現したくなる。

 

自分から発した言葉で自分が動けた時に

人は嬉しいと感じる。それは1歳と5歳の子ども

と遊んでいる中で教えてくれたことだ。彼ら

子どもたちは次々要求してくるが、全て否定すると

全く元気がなくなるし嘘をつくようになる。

 

どんどん要求に応え、鼓舞すると、真っ直ぐ

威勢よく、活気に満ちて、さらには周りが見え

思いやりが持てるようになってくる。

 

がっかりされがちな大人は、人の声が必要なのに

その受け取り方を忘れたからだと私は考える。

 

エネルギッシュな子どもと一日中話すのは

疲れるし、街中で子どもを探すのも苦労する。

 

だから童心を持った情熱的な人を探して、

その声を聴くといい。誰か一人でもいい、

探せばそういう人はきっとどこかにいるのだ。

0307_選ばれるためにやってます

f:id:DAZAIFIC:20200423010222j:image

COVID-19の影響で、住んでいるマレーシアが

外出規制を始めてから約40日が過ぎた。

 

2020年4月23日時点で200位上の国や地域での

感染者数が伝えられており、状況は今も深刻だ。

 

イタリアや韓国など、初期に国内の混乱が

目立った国で、終息を感じられるような報道を

見るようになってきた。マレーシアでも同様、

終息までは時間がかかることに皆が同意しつつも、

段階的な規制緩和を期待できるようになってきた。

新規感染者数の増加はピークで200名以上いたが

この数日間では60人ほどで推移している。

 

さて、私が今回記録をしたいのは、

この自粛ムードの中で身近な人がとっている

ある経済的な行動に学んだことである。

 

Mr.Dというマレーシア人にまつわる話だ。

彼は商売人で、楽器を製造販売する経営者だ。

 

この景況感に突入する直前に、彼の店を

訪ねたところであった。良き友人でもある。

私は一方的に彼の仕事を尊敬している。

 

楽器の販売はこれからどうなるのか。

商売のことなど全く分からない私ですら、

存続の危機であることは分かる。おそらく

売れないだろう、私は彼をとても心配をした。

 

ところが彼は私に頻繁に連絡をくれた。

マスクが欲しくないか、野菜が欲しくないか、

と言ったように、楽器とは全くかけ離れた

消耗品や食品を急にSNSやDMで扱い始めたのだ。

 

生活が苦しいだろうから、と最初は情けで

乾燥麺と野菜を注文した。ところが、だ。

 

彼はどんどん販路を拡大しており、情けで

頼んだ野菜は安く、新鮮でおいしかった。

 

驚くことにみかんを食べないかと連絡があった

ので、金額を尋ねると、着払いでタダだった。

そして信じられないほどそのみかんは美味かった。

 

彼の実業を心配した私の力の無さと

創造力の無さが露呈した格好である。

 

おそらく私には「機械屋としての勤め人」

という標識を自分につけており、それ以外の

存在ではないと自分を擁護して生きている。

 

しかし、家族を守ったり困っている人を

助けるにあたっては自分は何者でもないはずだ。

 

彼はおそらく、誰かに選ばれることの喜びを

知っている商売人なのだと思う。その証拠に

彼は楽器の販売活動に使用されていたFacebook

ページの中で、オンラインコンクールを主催した。

いいねや共有の数からグランプリを選び、

バウチャーを贈呈するなどの副賞つきだった。

 

参加可能な競争があるなら、喜んで選ばれたい。

そう感じることがMr.Dのような仕事の速さや

精度を生み出すのだと私は感じた。

 

私もいくつかの、選ばれるための工夫を

この外出規制の中、公私ともに行っている。

 

家から出なくても人からよく学べて、

外向きの行動も家からできる今の環境は

とてもありがたい。生かさずにはいられない。

 

できれば表現したくないのだが、

"コロナの騒ぎが起きたらまた元どおりの生活に

戻って、元どおり頑張っていこう"、と

そんな気でいる人が淘汰されたとしても

残念ながら、かける言葉はない。